木曽の御嶽山の話

女人結界はいつ解かれたか?

御嶽山には女人堂にょにんどうという小屋があります。その昔、御嶽山は女人禁制にょにんきんせいであり、女性は女人堂にょにんどうがある八合目までしか登拝を許されませんでした。 というのはそこそこ知られていますが、今回は、その【女人結界にょにんけっ...
御嶽山の紹介

アルマヤ天狗はどこにいる?!

最近、御嶽山の信仰としての【摩利支天まりしてん】や【摩利支天山まりしてんやま】の紹介をしてきましたね。元々私が働いていた小屋からよく見える山でしたし、摩利支天像があったという話もしました。【摩利支天まりしてん】の謎がおおかた解けたところで次...
御嶽古道〜三十八史跡巡り

黒澤口第十七番 三之池 摩利支天

今回は、御嶽山三十八史跡巡り「黒澤口第十七番 三之池 摩利支天」を紹介します。 既に三ノ池や、摩利支天については紹介しているので、ここでは三十八史跡としての朱印帳の説明、石柱の場所について書きたいと思います。 摩利支天の記述 摩利支天摩利支...
御嶽山の紹介

摩利支天山の山頂は移動した?

御嶽山の山頂の一つ、【摩利支天山まりしてんやま】の場所はどこでしょう?そんなことは地図を見れば分かることですが、今回は写真多めで【摩利支天山まりしてんやま】の紹介をさせてください! 「どこが山頂ですか?」 小屋で働いていた時にちょいちょい質...
木曽の御嶽山の話

軽精進ってどれくらい軽くなった?

【覚明行者かくめいぎょうじゃ】の動きによって、1792年に御嶽山は百日潔斎から開放されました。それは【覚明行者かくめいぎょうじゃ】の命を懸けた願いでもありました。 しかし、開放されたと言っても、今のように誰でも自由に登れたわけではありません...
御嶽山の信仰

覚明行者の開山って、何がすごいの?

これまで何度か江戸時代に遡さかのぼって、当時の御嶽山における百日潔斎の様子、江戸時代の登山道や御嶽山三十八座を紹介してきました。その後、1785年に尾張おわりの【覚明行者かくめいぎょうじゃ】が御嶽山を開山するのは、御嶽山の歴史において、とて...
御嶽古道〜三十八史跡巡り

黒澤口第二十番 賽之河原

都合により、十七、十八、十九を超越して、先に二十番である賽の河原を紹介します。毎回番号順でなくて申し訳ないですが、以前に【賽さいの河原かわら】について記事を書いたので、先に御嶽山三十八史跡巡りとしての「賽之河原」を紹介します。 というのも、...
御嶽山の紹介

お池と五行思想の関係を分析!

前回の続きです!今回は五行思想ごぎょうしそうから、御嶽山の五つの池の方角を照らし合わせてみようと思います。 一之池 - 白龍 では一之池から順番に見ていきましょう。 一之池は、水は涸れています。剣ヶ峰から見下ろすもっとも分かりやすい火口です...
木曽の御嶽山の話

五つの池に棲む龍とは?!

御嶽山には五つの池があることはご存知でしょうか? すでにニノ池の建国姫龍神や、三ノ池については紹介していますが、今回は五つそれぞれに祀まつられている龍神を紹介します。また今回は石柱に合わせて、各池の表記を「○之池」で統一したいと思います。 ...
御嶽山の紹介

賽の河原はどこにある?

【賽さいの河原かわら】という言葉を聞いたことはありますか?【賽さいの河原かわら】と名のつく場所は日本各地にあります。表記は「西の河原」「サイノカワラ」だったりします。 【木曽きその御嶽山おんたけさん】にも、のニノ池から摩利支天山まりしてんや...