覚明行者

御嶽山の信仰

覚明講はいつできた?❶-元祖系-

御嶽山は噴火警戒レベルが1へ下がり、再び黒沢口登山道から登れるようになりました。この黒沢口登山道は、尾張おわり出身の【覚明行者かくめいぎょうじゃ】が開いた道です。そのため、登山道には【覚明行者かくめいぎょうじゃ】由来の場所が多く残されてあり...
御嶽山の信仰

御嶽講って何?〇〇講の意味とは?

御嶽山は修験道が活発な山で知られています。そして御嶽山では、【御嶽講おんたけこう】【御嶽講社おんたけこうしゃ】や「〇〇講こう」という言葉を当然のように使っています。これまでも高針心願講や出生講、神蓮講など登場してきましたね。この【御嶽講おん...
御嶽山の信仰

継母岳と継子岳の入れ変わり説②

前回継母岳と継子岳の入れ変わり説①の続きです。今私たちが認識している【継母岳ままははだけ】と【継子岳ままこだけ】は明治時代以前はそれぞれ逆の位置でした!明治16年版地図と大正7年版地図を境に、二つの山はなぜか入れ変わってしまったんです。これ...
木曽の御嶽山の話

軽精進ってどれくらい軽くなった?

【覚明行者かくめいぎょうじゃ】の動きによって、1792年に御嶽山は百日潔斎から開放されました。それは【覚明行者かくめいぎょうじゃ】の命を懸けた願いでもありました。しかし、開放されたと言っても、今のように誰でも自由に登れたわけではありません。...
御嶽山の信仰

覚明行者の開山って、何がすごいの?

これまで何度か江戸時代に遡さかのぼって、当時の御嶽山における百日潔斎の様子、江戸時代の登山道や御嶽山三十八座を紹介してきました。その後、1785年に尾張おわりの【覚明行者かくめいぎょうじゃ】が御嶽山を開山するのは、御嶽山の歴史において、とて...
御嶽山の信仰

開闢(かいびゃく)とは?普寛行者の功績!

【普寛行者ふかんぎょうじゃ】は、王滝口の開山時から、弟子たちを幾人も連れて御嶽山を登拝しました。さらに第一回目の登拝から【御座おざ】儀式を行い、御嶽山に多くの神々を【勧請かんじょう】する構想を持っていました。このため【普寛行者ふかんぎょうじ...
御嶽山の信仰

覚明さんと普寛さんを照合!

近年、長野側から【木曽きその御嶽山おんたけさん】へ登るには、大きく二つの登山道があります。それは黒沢口くろさわぐち(ロープウェイ側)と王滝口おうたきぐち(田ノ原たのはら)と呼ばれたりもしています。黒沢口くろさわぐちからの登山道(黒沢ルート)...
御嶽古道〜三十八史跡巡り

黒沢口第十二番 覚明行場

最近【覚明行者かくめいぎょうじゃ】に関連した記事を取り扱っているので、今回もこのままの流れで行きたいと思い、「黒沢口第十二番 覚明行場」を紹介します!【覚明行場かくめいぎょうば】は御嶽山ロープウェイ駅の登山口から約10分ほどの位置にあります...
御嶽山の信仰

覚明行者にはお弟子さんがいない?

【覚明行者かくめいぎょうじゃ】と【普寛行者ふかんぎょうじゃ】と聞けば、おそらく御嶽山に関わっている人なら誰でも当然の如く知られたお名前だと分かりますよね。そしてもう少し詳しい人なら、【四大講祖よんだいこうそ】に含まれるもう二人、【一心行者い...
御嶽古道〜三十八史跡巡り

黒沢口第十六番 ニ之池覚明入定之地

前回の「黒沢口第十五番 覚明堂」に引き続き、今回も相互に関係する「黒沢口第十六番 ニ之池にのいけ 覚明かくめい入定之地にゅうじょうのち」紹介します。2014年の噴火以来、ニノ池は灰と化していますが、昔は豊な水を蓄えていたようです。朱印帳の記...