以前、八海山と三笠山って、御嶽山とどういう関係?で少し紹介しましたが、今回は【八海山】に絞って紹介します!
神社はあっても山はない⁈
【八海山】というと、木曽では割と馴染みがある名称です。なぜかというと、登山口がある王滝と黒沢の両方に「八海山神社」があるからです。
ですので、
「八海山てどこ?」「八海山という山があるの?」と聞かれたら、
「八海山は神社の名前だよ」と答えてしまうかもしれません。
実際、木曽には八海山という山はないんです。
黒沢口の八海山神社


三ノ池の御神水を提供している神社です。

ちなみにですが、その三ノ池の御神水を八海山神社へ運んでいるのが、以前強力取材の記事で紹介した角間洋平くんです。(強力の真髄を見た!強力取材③)

多い時は水タンク2缶を運ぶそうで、その重さは40kgにもなるそうです。
王滝口の八海山神社

眼のご利益で知られる八海山神社です。

この八海山神社は、涌き水を引いており、眼病に効く八海山御神水をいただくことができます。
対の三笠山は実際にある??



しかし八海山と対になっている三笠山は、王滝口の田の原に実際にある山です。だから、なんだかややこしいんですよね。
ちなみに三笠山神社も当然ながら、王滝と黒沢の両方にあります。
御嶽山の左側
先ほど触れたように、御嶽山では、当然のように【三笠山】と【八海山】が対になって両側に祀られています。

八海山神社はいつも御嶽山の左側に祀られていて、御嶽山を知る人にとってはとくに疑問を感じない、あって当然的な名前と言えるでしょう。
また御嶽山の御影図や神霊軸にも、同じ構図で八海山は祀られています。


詳しくはこちらをご覧ください。
御嶽【御影図(みえいず)】のご紹介!
現代の【神霊軸】一挙公開!
八海山をお取り寄せ?!
では【八海山】とはどこの山なんでしょう?
場所はなんと新潟県、越後の国です。


御嶽山や木曽の方々は、「え?八海山て元は新潟県の山なの?」と驚くかもしれません。
【八海山】は普寛行者とその弟子である泰賢行者(圓城院泰賢)が開山した山なんです。御嶽山の開山から2年後の、寛政6年(1794年)に八海山を開山したと伝わっています。
普寛行者は、御嶽山の開山だけでなく、さまざまな地方を弟子と共に行脚し、八海山などの山を開山してきました。その過程で、開山した山の神々を御嶽山へ勧請(お取り寄せ)したわけです。
構図の変化
実は普寛行者自身は八海山を重要視していなかったのか、御嶽山の両隣にいたのは違う山でした!
普寛行者の構図


当初は
【意波羅山大権現/御嶽山座王大権現/武尊山大権現】の構図で祀られていました。
意波羅山と武尊山については過去の記事をご覧ください。
普寛行者の故郷!?意波羅山とは!?
武尊山は御嶽山から消えた!?
順明行者の構図


しかしその後、普寛行者の弟子である順明行者によって、武尊山が消えて八海山が勧請されました。
広山と一心行者の構図


さらに、のちの弟子である明岳院広山や一心行者によって、意波羅山が消えて、
【三笠山刀利天宮/御嶽山座王大権現/八海山堤頭羅神王】の並びとなりました。

そして神仏分離令後に現在の、
【三笠山神社 / 御嶽神社 / 八海山神社】という名称の構図が出来上がったというわけです。
御嶽五山
普寛行者が開山し、勧請(お取り寄せ)してきた代表的な神さま山に御嶽山を含めて、御嶽五神(御嶽五山)と呼んでいます。
- 御嶽山座王大権現ー木曽御嶽山
- 三笠山刀利天宮ー上州三笠山
- 意波羅山大権現(意波羅天宮)ー秩父意波羅山
- 武尊山大権現(武尊神王)ー上州武尊山
- 八海山堤頭羅神王ー越後八海山
まだ私は三笠山(上州=群馬県)に登れていませんが、御嶽五山のうちで、もっとも修験の山らしく、厳しい山が八海山だと思います。
意波羅山を探せ!①秩父市の大滝へ
普寛行者を辿って【上州武尊山】へ
しかも普寛行者が開いたとされる八海山の屏風道ルートは、登山界でも難ルートとして知られています。普寛行者の凄さを体感したいところですが、未だ挑戦できていません。
次回は、八海山の登頂レポートいたします。ロープウェイを利用して登りましたが、八海山の山頂部だけでも十分厳しい山だということがよく分かりました。お楽しみに!
参考文献:「木曽御嶽信仰」(菅原壽清)


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