御嶽山は修験道が活発な山で知られています。そして御嶽山では、【御嶽講】【御嶽講社】や「〇〇講」という言葉を当然のように使っています。
これまでも高針心願講や出生講、神蓮講など登場してきましたね。
この【御嶽講】は、大きく以下の二つに分けられます。
- 覚明行者系列である御嶽講(覚明講)
- 普寛行者系列である御嶽講(普寛講)
そもそも「〇〇講」って何なんでしょう?
御嶽講って何?
「講」という漢字を単体で使うことはあまりありませんが、「講座」「講義」「受講」という言葉は現代でも馴染みがありますよね。「お勉強」的な言葉だというのは分かります。

民間信仰の顕著な風習のひとつとして、神道的な信仰による霊社名刹に参詣する団体的な組織を持つことがおこなわれるようになり、これを普通、講社と呼んでいた。
「御嶽の信仰と登山の歴史」(生駒勘七)
伊勢神宮を目的とする伊勢講をはじめ(中略)、富士の登拝を目的とする富士講(中略)などのいわゆる登山講社もだんだん結成されるようになり、これらの山々は早くより一般開放されていたものである。
なんだか難しいですが、御嶽山を参拝するのを目的とするの組織のようです。
任意団体ってやつ?
ズバリ簡単にいうと、
「講社」とは組合やサークルのようなものです。
「この山を信仰しましょう」
「一緒にお参りしましょう」
「一緒に登りましょう」など、
参拝や登拝を目的とするグループ(いわゆる任意団体)を「講社」と呼びます。
任意団体の例:町内会、PTA、サークルなど
つまり御嶽講とは?
つまり、御嶽山を登拝する同じ目的をもった組織を【御嶽講社】と呼びます。御嶽山の霊気に触れ、地上では経験できない宗教体験に接しようとする人々により結成された、いわゆる「登山講社」に当てはまります。
御嶽の山神を祀る御嶽神社(御嶽山座王大権現)を崇敬し、講社を組織して里社・奥社の参詣をおこなうための崇敬団体が御嶽講社で、その信仰の対象は御嶽の山そのものであり、その象徴である御嶽神社を中心に固く結ばれていたものである。こうしてこれら講社の活動は活発をきわめ、わが国山岳信仰の中でも特異の存在として注目された。
「御嶽の信仰と登山の歴史」(生駒勘七)
「〇〇講」って何だろう?
組織ごとに「〇〇講」と言っています。「〇〇会」などと同じでしょうね。
つまり〇〇には、その「講社」を表す固有名詞が使われています。先達の名前であったり、講社の地名であったりもします。現代でも、クリニックや学習塾などの名前は、地名や先生の名前を当てはめて名付けられていますよね。「〇〇塾」という言い方が近い気がします。
数多くできた「〇〇講」をまとめて指して【御嶽講】と呼びます。〇〇先生、と呼びたいところをただ「先生」と呼ぶ感じと似てるかもしれません。単純に【御嶽講社】を略して「御嶽講」なのかもしれません。
講社→町内会、PTA、サークル
〇〇講→〇〇町内会、〇〇校PTA、〇〇チーム

御嶽講は誰が作った?
この【御嶽講】を組織する指示をしたのは【普寛行者】です。【普寛行者】は御嶽山の初登拝から弟子を引き連れていました。

【普寛行者】は「講社」を作ることによって、御嶽信仰を組織的に広める目的がありました。(くわしくは開闢(かいびゃく)とは?普寛行者の功績!)
普寛の指示により、代表的な弟子であった【圓城院泰賢】【金剛院順明】【明岳院広山】らが【普寛講】の拡張を図りました。
このようにして、普寛系の講社が江戸を中心に次々と結成され、全国的に拡大していったのです。【普寛講】の詳しい流れはまた今後紹介します。


まとめ
講社とは
参拝や登拝を目的とするグループ(いわゆる任意団体)である。
例:御嶽講、伊勢講、富士講など
御嶽講とは?
御嶽山を登拝する同じ目的をもったグループであり、御嶽講を作る指示をしたのは普寛行者である。
「〇〇講」とは?
各「講社」を表す固有名詞が使われており、先達の名前や講社の地名が付いていることが多い。
例:出生講、誕生講、高針心願講など
覚明講はない?!
【御嶽講】を作ったのが【普寛行者】であるならば、【普寛講】が発展するのは当然と言えます。
では【覚明講】はどうして存在するのでしょうか?
以前紹介しましたが、そもそも【覚明行者】には【御嶽講】の思想はありませんでした。【普寛行者】と違って弟子もいませんでした。さらに【覚明行者】は【普寛行者】が御嶽山を訪ねるより何年も前に亡くなっています。
つまり、
【覚明講】自体が、あるわけない?!あったらおかしい?!!

いえいえ実際、【覚明講】は存在します。写真の【福寿講】も【覚明講】のひとつなんです。
いったい、いつのタイミングで【覚明講】できたのか気になるところですね。
それは次回のお楽しみです!
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