越後の八海山、登拝記録②

新潟県の御嶽山

新潟県の八海山へ登ってきた記録の続きです。前回は八海山の核心部であるハツ峰やつみねを無事回ることができました。

八海山の最高峰、入道岳へ

無事ハツ峰やつみねを終えたので、この先は最高峰である入道岳にゅうどうだけへ向かいます。

振り返って大日岳だいにちだけです。大日岳から入道岳までは、八ツ峰と打って変わって、緩やかな道でした。

途中も、摩利支天大神まりしてんおおかみが祀られていました。

着きました!が、丸ヶ岳?
後ろに「入道岳にゅうどうだけ1778m」と書かれた木柱が横たわっていました。

大日岳にも人が増えていますね。ハシゴ待ちかもしれません。

左側には常に、越後駒ヶ岳えちごこまがたけ中ノ岳なかのだけそびえていました。八海山も含めて、越後三山えちごさんざんと呼ばれています。

中ノ岳へは波線ルートです。かっこよい稜線だ。いつか歩きたい。

ちなみに越後駒ヶ岳から見た八海山がこちらです。季節は違います。八ツ峰のギザギザが特徴的ですね。

看板とは左右対称なんですが、越後駒ヶ岳からは八海山の全容がはっきり分かりました!

帰り道

八ツ峰迂回コース

帰りはハツ峰迂回コースを通って千本桧小屋せんぼんひのきごやまでトラバースします。

岩場は通らずにすみますが、このトラバース道が意外と危険で滑りやすく、私は軽く滑落してしまいました。(大事には至りませんでした)

ハツ峰迂回コースを通って千本桧小屋せんぼんひのきごやまで帰ってきました。途中、地図にあった「日の池」と「月の池」を楽しみにしていましたが、分かりませんでした。御嶽山の奥の院にある、「日の門」と「月の門」に通ずる日月信仰にちげつしんこうが見られるかと思ったのでちょっと残念でした。

八ツ峰やつみねといいつつ、八つの峰には立てないし、最高峰の入道岳は八ツ峰やつみねに含まれておらず、ややこしい山でした。入道岳に丸ヶ岳という石碑があったり、白河岳=白川岳?の位置が実際とは違うなど、八海山は名前があまり統一されていないように感じました。「八」という字にあまり囚われない方がよさそうです。

屏風道コースとは

ロープウェイを使わずに屛風道びょうぶどうコースを登るとこの場所へ着きます。危険なため下山では使用できない登山道となっています。この屛風道びょうぶどうこそが普寛行者が開いた道らしいのですが、今回は女人堂を通りたかったのでロープウェイコースを選びました。

なので、いつかまた屛風道びょうぶどうを通って八海山へ来たいと思います!

本庄市の御嶽山至誠教

帰り道の女人堂で、今朝がた見かけた御嶽講の方々とお会いできました。

「入道岳まで行ってきたんですか〜健脚ですね!私たちは不動岳までが精一杯ですよ。」
とお話ししてくださいました。

埼玉県本庄市にある厄除御嶽山神社を本拠地とされている至誠教の方々でした。本庄市といえば普寛霊場がある場所です。武尊山ほたかやまでも、埼玉県の御嶽講である忍心教会ちょうしんきょうかいの方々が登拝に来られていました。(普寛行者を辿って【上州武尊山】へ

埼玉県はやはり普寛行者の生誕地ということもあって、まだまだ御嶽講が現役で活発であると感じます。

八海山尊神社へ

下山後に時間があったので、大崎口まで回って八海山尊神社はっかいさんそんじんじゃへお参りしました。

https://maps.app.goo.gl/DvJNmyFYuNu8WYC99

のぼりには大きく「八海山大神泰賢講たいけんこう役員会」と書かれていて、圓城院えんじょういん泰賢たいけんの存在を窺い知ることができました。

ちょうど1日前に大火渡祭があったそうで、お清めの塩とお米をいただきました。

泰賢行者

前宮司の偉業を称えた石碑が建っていましたが、ここに開祖が泰賢行者たいけんぎょうじゃであると彫られていました。ロープウェイができるまでは、登山口は大崎口から登るのが主流だったと思います。大崎口を開いたのが泰賢行者たいけんぎょうじゃです。

泰賢行者については、改めて取り上げます。

石板の内容

最近は石板を見ると写したくなる癖がついたので、一応こちらにも書き起こしておきます。分かる限りの読み仮名をふりました。

このような昔の言い回しはとにかく難しく、まず漢字を手書き検索して、それで読みを調べて、最後に意味を調べるという三段階です。

頌辞
宮司故山田一利大人は八海山大崎口を管掌かんしょうする山田神主家
の嫡流として早くから霊性に眼醒め 山嶽信仰の行法に親しむ
聖俗併せ有つ資生により長らく孤立すといえども 開祖 泰賢行者たいけんぎょうじゃ
来の法統を祖父良吉おうより受継ぎ 幾年月 夜を昼になして各地を
遊行す その途次 八海山を再び中興するは我を置きて外に
無しとの天啓てんけいを享くに覚ゆ 昭和三十六年 内外の有志と
語らい火渡祭復興を遂ぐ やがて帰依する先達崇敬者すうけいしゃ業生ぎょうしょう
するが如し ここに八海山大神の神威をあまねく光被して天下に
知らしむ
暫くして神寂かみさびた大崎口里宮は大神のてのひらに包まれるが如く
見渡す限りの荘厳無比な神域 八海山尊神社として創
建される 是 僅か一代の事績なり
晩年に至るまで醇乎じゅんこたる童心をもって 間然する所なし
放胆ほうたんにして 猶 人心の機微きびに通ず 一点の曇り無き魂との
触れ合いを渇仰かつごうして風狂ふうきょうの誇りを恐れず 生涯の過半を
崇敬者の家々を渡らい 人々の懐深く分け入り 喜怒
哀楽を共にす
平成十二年六月 帰由 享年七十八歳
平成十六年 御山開きの佳辰かしんぼくし建立す
八海山尊神社 宮司 山田泰利
崇敬者中

開祖である泰賢行者たいけんぎょうじゃが開いた大崎口を、伝え守ってきた神主である山田家。
泰賢行者たいけんぎょうじゃも山田家の出自です)
そこに産まれた山田一利氏は、八海山を中興する天啓を受け、半ば衰えていた八海山を再び蘇らせたとの功績が書かれています。有志によって活動を広げ、火渡り祭の復興や、神社の創建などを一代にして築き上げ、亡くなるその時まで崇敬者に対して寄り添い、力を尽くしたことが讃えられていました。

まごころの塔発見

八海山の帰りに、まごころの塔がある霊場を発見しました。そちらについては“まごころの塔”徹底解説をご覧ください。

越後の八海山はかなり収穫がありました!そしてかっこよかったです。

来年は屛風道に挑戦したいと思います!

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