前回、八丁タルミに建っていた【まごころの塔】が破損したこと、新潟県にも全く同じ塔が建っていることなどと述べました。まごころの塔とは?


今回は、二つの【まごころの塔】に実際彫られている文面を完全比較&解読します。
2つの塔
2つの【まごころの塔】を並べて比較しました!
(映画『ロードオブザリング』みたいな題名になってしまった笑)
見た目の比較
左写真が御嶽山の八丁タルミにある【まごころの塔】、
右写真が新潟県の御嶽教霊場にある【まごころの塔】になります。


全体像は台座の作りが違いますが、グルグル部分は同じですね。


先端は、御嶽山の方は破損してますが、新潟県の方は避雷針が残っていて、ほぼ完全形だと思います。


正面の文字はどちらも全く同じでした!


文章の比較
背面の文章です。ほぼ同じ内容が彫られています。新潟県の方が簡略化されていて短い、というくらいの違いです。
記念塔建立の由来
八丁たるみ まごころの塔記載文
この塔は、御嶽教が開教満九十周年祝賀の記念事業の一端として建立し、御嶽大神の広大なる御神徳の顕彰と、奇妙なる御霊験の垂加を祈念する。
富塔の台座の岩組中には、記念事業を協賛してその基金に浄財を喜納した、全国の篤信教師信徒の芳名帳を埋め納めて、永久にその家々の家運繁栄を祈ると共に、台座の周囲には協力した教会、布教所の名を彫刻した銅板を掲示して、永遠にその功績を表彰する。
又、塔上には避雷針を取付けて、登山者の安全を計り教名の宣掲に資する。
よって、まごころの塔と命名し、以て永久に記念とする。
昭和四十九年七月建立
記念塔建立の由来
新潟霊場 まごころの塔記載文
この塔は、御嶽教の開教満九十周年祝賀の記念事業の一端として建立し、御嶽大神の御神威の顕彰と、御神徳の垂加を祈念すると共に、塔上には避雷針を取付て登山者の安全を計る。
又台座の岩組中には記念事業基金喜納者名簿を埋め納めて、永久にその家運繁栄を祈り、台座の周囲にはその協力教会、布教所名を記入して、その至誠を表彰する。
よって、まごころの塔と命名した。
九代管長渡辺照吉 記
昭和四十九年七月吉日
二つの【まごころの塔】に記載してあった文面は、ほぼ一致した内容でした。
- 御嶽教によって昭和四十九年七月に建てられた
- 御嶽教の開教90周年を記念して作られた
- 御嶽大神を讃えている
- 先端に避雷針がついており、登山者の安全を計っている
- 台座には、この事業に協力した者の芳名帳が納められている
色味の比較
御嶽山の【まごころの塔】は噴火の影響などもあって青銅色になっていますが、新潟の【まごころの塔】は鈍色です。


しかしよくよく見てみると、金色の部分が残っています。
昔は全面金色だったんじゃないでしょうか?!
だとしたら、この目で見てみたかったですね。
なぜ90周年?
なぜ90周年?半端ですね。
あと10年待って、『100周年記念』とは行かなかったのでしょうか?!笑
それには何か待てない事情があったんでしょうね。管長であった渡辺照吉さんが関係していると思います。
渡辺管長は、【まごころの塔】が建つこの八丁たるみで、雲上御神火祭を始めた方で、かなりの功績があった人物です。


ところで御嶽教の設立は、1882年の明治15年です。
つまり90周年記念だと、1972年の昭和47年に当たります。
“御嶽教の開教90周年を記念して昭和49年に建てられた”という文面とズレていますよね?
おそらくこの昭和47年に製造が開始され、施工時期が昭和49年になったということだと思います。この辺りのズレが少々ややこしかったですが、これで大方【まごころの塔】について、理解できたと思います。
1882年 | 明治15年 | 開教(設立) |
1972年 | 昭和47年 | 90周年 |
1974年 | 昭和49年 | まごころの塔建立 |
2つの塔の場所
詳しくそれぞれの【まごころの塔】を見たい方はこの先もお付き合いください。
まずは御嶽山へ!
木曽の御嶽山
八丁たるみ
ここでは石碑表示に合わせて「八丁たるみ」と表記します。






現在は大きく破損している状態です。
正面

正面から見たいのに、正面へ回れないという関門。、、、これがなかなか厄介でした。

登山道の関係で正面に回ることができず、離れて望遠で撮るのが精一杯でした。

これだとなんとか読めますね。

天下泰平 国運隆盛
まごころの塔
登山安全 教内繁栄
背面

続いて背面の文章を解読します。

晴れていたおかげではっきり読むことができました!



記念塔建立の由来
この塔は、御嶽教が開教満九十周年祝賀の記念事業の一端として建立し、御嶽大神の広大なる御神徳の顕彰と、奇妙なる御霊験の垂加を祈念する。
富塔の台座の岩組中には、記念事業を協賛してその基金に浄財を喜納した、全国の篤信教師信徒の芳名帳を埋め納めて、永久にその家々の家運繁栄を祈ると共に、台座の周囲には協力した教会、布教所の名を彫刻した銅板を掲示して、永遠にその功績を表彰する。
又、塔上には避雷針を取付けて、登山者の安全を計り教名の宣掲に資する。
よって、まごころの塔と命名し、以て永久に記念とする。
昭和四十九年七月建立
越後(新潟県)の八海山
続いて、新潟県へ移ります。場所はこちら↓
御嶽教新潟県教区霊場
こちらは、新潟県八海山の麓にある御嶽教新潟県教区霊場です。近くには八海山神社もありました。ここに建つ【まごころの塔】を見てみましょう。




なんだか見覚えのあるグルグルがあります!

お〜御嶽山と同じだ!
正面
御嶽山と違って、かなり完成形に近いカタチで残されてて嬉しかったです。


先端の避雷針までちゃんと残ってる!



天下泰平 国運隆盛
まごころの塔
登山安全 教内繁栄
御嶽山と全く同じ文面でした!
背面
続いて背面へ回ります。




記念塔建立の由来
この塔は、御嶽教の開教満九十周年祝賀の記念事業の一端として建立し、御嶽大神の御神威の顕彰と、御神徳の垂加を祈念すると共に、塔上には避雷針を取付て登山者の安全を計る。
又台座の岩組中には記念事業基金喜納者名簿を埋め納めて、永久にその家運繁栄を祈り、台座の周囲にはその協力教会、布教所名を記入して、その至誠を表彰する。
よって、まごころの塔と命名した。
九代管長渡辺照吉 記
昭和四十九年七月吉日

側面には、「開教満九十周年記念建立」と彫られていました。
霊場内の様子





同時期に造られて、それぞれ建立されたと思われる2つの【まごころの塔】を紹介しました。
もしかしたら、新潟県の他にもあったりして?!情報お待ちしています!
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