埼玉県秩父市大滝は【普寛行者】の生誕地です。
ブログ初期の頃、埼玉県の【意波羅山】を紹介しました。
普寛行者の故郷!?意波羅山とは!?
意波羅山を探せ!①秩父市の大滝へ
意波羅山を探せ!②ついに発見
意波羅山を探せ!③普寛神社
当時のレポートは【意波羅山】を探し当てることで精一杯で、秩父御嶽山へは登れませんでした。
今回やっと行ってまいりましたので、レポートをお伝えします。
埼玉県秩父市“大滝”へ
まずは前回同様、埼玉県秩父市大滝へやってきました。

『大滝』とはまたご縁がある名前だと思いませんか?
【普寛行者】が開山した登山口の王滝村と何か関係があるのでしょうか??

秩父御嶽山はここから約2時間の行程と書かれています。登山口へ向かいます。

お稲荷さんが祀られています。

こちらには諏訪神社と意波羅山が祀られています。

落合コースから登って、強石コースて下りてくる予定です。この看板、かなり記述が怪しい部分がありました。最後に紹介します。
登山の道中
登山口まで


看板に従いながら、しばらく林道を登っていきます。
登山道

山道に入ります。



道は整備されています。


普寛トンネル!
登山道の途中、林道に差し掛かると、【普寛行者】の名前のついたトンネルがありました。


『森林管理道御岳山2号線』
『普寛トンネル』とは、
ずいぶん粋な名前を付けてくれたなと思います。
森林管理道なので通れませんし、もちろん通ってみる勇気もありません。
通っても先は行き止まりのようです。(気にはなりますね)


【普寛行者】の名前をみてテンションが上がったところで、引き続き山頂を目指します🥾
秩父御嶽山の山頂

落合コースを登り、約1時間半で到着しました。
1080mの低山なので冬にちょうどいいかもしれません。



お社の扉が片方外れていましたが、
【山丸三】がしっかり型取られており、思わずニヤついてしまいました。



普寛霊神(普寛行者)のお札もいくつか納められており、今でも信者さんや行者さんが登拝していることが分かって嬉しいです。


お社の背後には【両神山】が聳えており、独特な山容のせいか存在感がすごいですね。
(【両神山】にも御嶽山が祀られていましたので、いずれ紹介します)



秩父御嶽山へやっと来ることができて嬉しいです。


山頂のすぐ下に、【不動明王】の祠跡がありました。かなり朽ちていて中は空っぽでしたが、ここにも【山丸三】が型取られていました。
面白いのは【山丸三】の後ろに炎(不動明王の特徴)が描かれていたことです。
『山丸三ver.不動明王』といったところでしょうか。







下山は強石(こわいし)コースで下りました。途中、弘法大師さまも祀られていました。
普寛行者のお墓



この普寛神社は【普寛行者】の墓所となっています。
残念ながらコロナ以降者は閉ざされたままで、参拝することはできません。門の外からのみのご紹介です。
【普寛行者】のお骨は分骨されており、この普寛神社の他に、本庄市の普寛霊場、王滝村の花戸普寛堂、そしてもう一ヶ所『江戸の法性院』と書かれていますが実在は不明です。
公には上記の4ヶ所ですが
私が住む群馬県にも、【普寛行者】のお骨が分骨されている場所があります。そちらの紹介もお楽しみに。






この普寛神社の裏手にある【意波羅山】については、意波羅山を探せ!①秩父市の大滝へをご参照ください。
看板は間違っている??

登山口の看板の拡大ですが、これはかなり間違っていると思いました。
“御岳大神”にはびっくりです笑
漢字はともかく、正しくは【御嶽大神】です。御嶽大神についてはこちら。
極め付けは
“王滝口は、郷里大滝の字音をそのまま名づけられています”
と書いてあったことです。まるで「大滝」から「王滝」が名付けられたみたいに書いてますが、これは大間違いと言えます。
なぜなら木曽の王滝村は、
【普寛行者】が「王滝」を訪ねた1792年よりずっと昔から、
「王滝」という地名であったからです。
少なくとも宝徳2年(1450年)の室町時代には「王滝村」という記述が見られます。
2年前はそれでも、「大滝」が先なのかと信じていましたが、「大神」を「だいじん」と読んでいるあたり、信憑性は低いと思いました。
「大滝」と「王滝」の字音の一致は偶然であるのか?
それとも逆に「王滝」から「大滝」が名付けられたのか??
これには一度、秩父市の歴史を辿る必要があるかもしれませんね。
王滝と大滝、【普寛行者】が木曽の王滝村を訪ねたのも、
何かご縁を感じたからではないだろうかと、勝手に(夢見て)考えています。
みなさんは、どう思われますか?


コメントあればお願いします 質問も受け付けます