江戸時代の御嶽ガイドブック!?「吉蘇志略」

木曽の御嶽山の話

前の記事でに、開山前の御嶽山へ登る方法として百日間の精進潔斎の内容を紹介しました。その元になった資料が「御嶽登山儀式抄」でした。

今回もう一つ、「吉蘇志略きそしりゃく」という江戸時代の御嶽について記述されている貴重な著書を紹介します。簡単に言えば、江戸時代の御嶽ガイドブックです!

「吉蘇志略」より

吉蘇志略きそしりゃく」とは宝暦三年(1753)に刊行された木曽谷の地理・歴史・民俗の実地調査を編纂した著書です。つまり、江戸時代初期の木曽について書かれている貴重な書物なんです。

「御嶽の歴史」(生駒勘七)に載っていた抜粋から、さらに興味深い部分を抽出して紹介します。

〔黒沢の条〕
(御嶽)
これ 信濃しなの いち大山おおやまなり。
毎年六月十二日、十三日諸人もろびと潔斎けっさいして登渉とうしょうす、全く富士山に登るもののごとし。
絶頂に小祠しょうし有り、つ三つの池有り、巨岩が矗々ちくちくとして、四季雪あり、霊境れいきょうし。

当時、日本の代表的霊山としてすでに富士山が意識されていたことがわかります。
そして山頂のほこら、三つの池、巨石、残雪について書かれていますね。そして霊境という言葉で、この世とは一線を引いた場所であるということが示唆されています。

〔王滝の条〕が面白い!

続いて〔王滝の条〕を紹介します!
一見難しいですが、よく読んでみると大変興味深く、面白いです!

〔王滝の条〕
(御嶽)
六月十二日十三日祭礼なり、十四日ことおわって山に登る、四里1にして堂あり、れに一泊す、
王滝、黒沢、各々堂有り夜中たいまつもっのぼる、 
一つの峰に至ればほこら有り、金剛童子こんごうどうじのたまう、これいこいて天明てんめい2を待つ、

此辺このあたり五粒松3多し垂枝すいし虬竜きゅうりゅう4の如し、なづけて御松5のたまう、
盛夏といえども積雪有り、
草木は生せず、名けて無樹とのたまう、
また登ること三里にして絶頂に至る、ふたつほこら有り、王権現おうのごんげん6い、日権現ひのごんげん7う、

そのひがしみね三つの池8有り、一つの池は水かれる、一の池は水少し、一の池は水みちつ、其水そのみずは流れて西野に至る、濁川にごりがわと云う、

往々おうおう硫黄いおう拾得しゅうとくす、其水そのみずはなはくさし、

山上に鳥有り9形⬜︎の如し毛色は雌雉めすきじごと、人を見て驚かず、

山上にだ一草生ず、葉は蘼蕪びぶ10に似てしかして小花あり、伏菫菜11の如く色紅紫べにむらさきなり、他草は生ぜず、駒草こまくさ

又一つの草あり、たでに似て葉は大なり葉は⬜︎くくらうべし名けて御蓼おんたで
  1. “四里”は一里が約4kmなのでおよそ16km ↩︎
  2. “天明”とは夜明け ↩︎
  3. “五粒松”については読みも意味も不明 ↩︎
  4. 竜”の「みずち」とは架空の生き物で、角がない竜に近い ↩︎
  5. “御松”とはおそらく「オンマツ」で「ハイマツ」を指しているんじゃないかと推測 ↩︎
  6. 王権現”とは当時は【大己貴命おおなむちのみこと】のことを指し、場所は現在の頂上奥社?
    ↩︎
  7. 日権現”とは当時は【少彦名命すくなひこなのみこと】のことを指し、場所は現在の王滝頂上? ↩︎
  8. “三つの池”とはおそらく今の、一の池(涸)、ニノ池(少)、三ノ池(満)のことだと推測 ↩︎
  9. “雌雉の如し鳥”とはライチョウを指していることが伺い知れる ↩︎
  10. 蘼蕪びぶ”とは川芎せんきゅうの別名で、セリ科の多年草。ちなみにコマクサはケシ科である ↩︎
  11. “伏菫菜”は読みも意味も不明だが、伏せたスミレのような例えを指してるんじゃないかと推測 ↩︎

正直、「読めない!書けない!!意味わからない!!!」
が多すぎて、調べるの大変でした笑
結局分からない漢字や、読み仮名も少し怪しいので、ある程度はご勘弁願います。

珠玉のごとき資料!

とは言ったものの、調べてみると面白かった!
そしてここまで細かい記述が残っているのはすごいと思いました!
まさに御嶽ガイドブック!

百日間の重潔斎の後に、6月14日(現代の七月末ごろ)約16km歩いて「ミヨ」と呼ばれる堂(坊)へ辿り着き、夜中のうちに出発。金剛童子の祠(現在の場所は不明)で夜明けを待ち山頂を目指す。山頂の祠、残雪と松、硫黄の匂いなど詳しく書かれておりびっくりしました。

特にライチョウ、コマクサ、オンタデは当時から御嶽に馴染み深い存在だったんだと分かりますね!

以上が「吉蘇志略」の御嶽記事である。(中略)
一語々々が珠玉のごとき資料であり、御嶽に関する当時における最高の知識と言っても決して言いすぎではないと考えるものである。
(中略)
山上の雷鳥や高山植物の記事も道者たちの見聞によって書かれたものであるが、博物学史の上からみても面白い資料である。

「御嶽の歴史」(生駒勘七)より

現代から見ても面白い資料です!!生駒勘七さん、ありがとうございます。

「御嶽の歴史」(生駒勘七)

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