強力の倉本豊さんの紹介で、太祖神敬講の御嶽山登拝(8合目の阿波ヶ嶽まで)に随行しています。(前編はこちら)
午前10時、行場山荘での御座立てが終わり、、太祖神敬講は再び登拝を開始しました。


太祖神敬講は10名で徳島から御嶽山に来られていました。夜通し移動してきての今朝になります。女性の3名と、高齢の男性2名は行場山荘でのお勤めを終えたら、下山しました。
前座を勤める主管の川添海道氏と、中座を勤める主管のご子息、書取り役の男性、撮影記録を努める男性、若い男性と、強力の倉本豊さんと私の7名で、8合目の阿波ヶ嶽を目指します。
道中いろいろ
倉本さんと知り合ったのは4年前ですが、一緒に御嶽山を歩くのは初めてです!

一緒に歩くといっても、
倉本さんの強力の荷物は約30kgオーバー、
片や私は日帰りの軽装備なので面目ないです。

倉本さんは、御年70歳ですが、、、、、

本当に70歳ですか?!
50歳の間違いじゃないですか?
せめて60歳でしょ!笑
こんな何十キロも背負って、お話ししながら登ってくれる70歳いる?!

いやもうね、そろそろ限界だよ笑
実際に、いつかその時はやってきます。
御山で倉本さんを見られるのは今しかないかもしれません。

ゆっくり時間をかけて登ります。
川添主管も相当の年齢ですし、若い方も重そうな荷物を背負っていました。太祖神敬講と書かれた旗も重量あったと思います。
セイタとニンボー

強力は、信者さんの緊急事態に対応できるよう、最後尾を歩きます。信者さんのペースに合わせるのも経験が必要です。

時折り、ニンボー(忍棒、荷棒)という一本杖を背負い板にあてて、立ったまま休憩します。

強力は、このセイタと(背負い板)とニンボー(忍棒、荷棒)が必需品です。

倉本さんは大工さんでもあるので、もちろん自作自前です!

身長を見え張っちゃったから、
ニンボーの長さが実は合ってないんだよね笑
と話す倉本さんは、とてもチャーミングでした笑!

休みながら、一歩一歩追従します。
この道50年超えのレジェンド!


自分は本当に恵まれていると思う。
これまで夏の間に一度も怪我をしたことがないから、
毎年御山に来ることができています。

それってつまり50年以上、毎年登ってるということですか?!

そう!一年も欠かしたことがない!

御嶽山に登らなかった年が一年もないんですか?!
めちゃくちゃす凄いことですよね!
怪我をしない歩き方をしてるってことですし!

支えてくれる家族のおかげだと思う。
感謝しているよ。
私が産まれるずっと前からこの御嶽山に通い続けて、御嶽山を見守ってきた倉本さんに敬意を払います!ちなみに師匠も、ご不幸があった一年を除いて御嶽山へ通うのを欠かしたことがないそうです。2人ともレジェンドすぎる。
登山中あるある
すれ違う登山者、通過する登山者が、みな揃って倉本さん話しかけます笑

わーすごい荷物!歩荷さんですか?

私は強力をやってます。
信者さんの荷物を運んでいます。

何キロくらい背負っているんですか?

今日は軽いですよ。◯十キロくらいじゃないかな笑
(昔は50Kg超えでした)
きっとこの会話、毎年、毎日、毎回してると思った笑
もとは一本橋!?

10時55分、中間地点の横橋を渡ります。ここで倉本さんが面白いお話をしてくれました。

ここは昔は一本橋という名前だったんだよ。

ということはもしかして、木が一本架かっているだけの橋だったんですか!

そう!今は横橋って言って、しっかり橋が渡してあるけどね!

一本木だと渡るの恐いですね!橋が渡されてありがたいです。
今や御嶽山は、登山道がしっかり整備してありますが、整備されていなければ登るのが困難な場所がたくさんあります。先人の苦労を想い、登山道工事の発展に感謝しようと思いました。


「横橋を渡る倉本さん」

「若手に似組みの助言をする倉本さん」
太祖神敬講の講紋

太祖神敬講のみなさんも休憩されていました。

優しい顔つきの川添主管は御年69歳だそうです。通過した登山者とも、談笑されていて微笑ましかったです。

気になったので、錫杖の先端についていた講紋を見せていただきました!


山丸三に「太」の文字が入っています!かっこいいですね!

ここで、雨模様が強くなってきました。
荷を濡らしてはいけませんし、8合目まで目前だったので、倉本さんと先行することになりました。
8合目到着!


11時40分、ギリギリセーフ?女人堂へ到着です!(少し濡れた〜)
雨の中、12時ちょうどにみなさんも到着されました。

雨が上がるまで、しばし休憩です。





イワギキョウが雨に濡れて綺麗でした。

阿波ヶ嶽へ
12時30分、奇跡的に雨が止みました!

女人堂の起信幸さんの案内で、阿波ヶ嶽へ入ります!




太祖神敬講の霊場へ到着しました。

開祖の海信霊神と、おとなりに明道霊神が祀られています。


太祖神敬講での一番の信仰対象はどなたですか?

それは海信霊神ですね。
開祖の海信霊神は祖父にあたります。
となりの明道霊神は私の父です。

祖父君とお父君が霊神として祀られているということは
川添主管は三代目にあたるわけですね!
霊神碑を少し身近なものに感じることができました。
(霊神碑とは何か?お墓との違いは?!)

登頂の御礼を述べられています。


護摩焚き


続いて、右端に建つ五輪塔で護摩焚きの準備が始まりました。この塔は、声聞縁覚塔と言うそうです。中から、台帳のようなものを取り出しました。

今日この地に来ることができなかった者の
想いを焚き上げています。
御嶽講はこうした、「登拝が叶わなかった者の想いや願いだけでも御山に連れてくる」といった風習が見られます。





青空も戻ってきました!

阿波ヶ嶽と書かれた塔が建っています。


勢いよく、炎が上がります。





霊神御礼
護摩焚きが終わり、ふたたび霊場の正面で勤行が始まりました。

先ほどの雨から打って変わって、雲から光が差し込み神々しい場面でした。

般若心経や、ご真言を唱えました。般若心経は、講社や読む方によって若干言い回しが違うので、毎回興味深いと感じます。

ひとつひとつの霊神碑へ正対して、霊神名を読み上げていくのが印象的でした。

〇〇姫霊神は女性、連名で霊神碑に彫られているのはおそらくご夫婦なのだろうと思います。
お勤め修了!


13時40分お勤めが終わり、みなさんは中社でお参りとお祓いを受けておられました。
女人堂にて

14時10分、女人堂へ戻りました。





太祖神敬講のみなさんと、倉本さんはこのまま女人堂に宿泊です。この後も、中で御座立て儀式をされるそうですが、私は下山するのでそろそろタイムリミットです。
川添主管に御礼を申し上げて、お別れしました。
明日には下山されて、木曽でもう一泊され、明後日に徳島へ帰られます。
2014年の噴火までは、女人堂には2泊して剣ヶ峰まで登頂されていたようです。

下りるの?泊まっていかないの?
残念だね。

明日予定があって、、、
装備もないし泣
すみません。
今回もありがとうございました。

こちらこといつもありがとう。
また会いましょう。
御座も最後まで見たかったし、もう少しご一緒したかった!最初から泊まりの予定で来れたらよかったのですが、翌日も予定があったため残念です。
随行御礼!
四国の徳島という地から、海を渡って遠路はるばる御嶽山を目指す講社の方々に感服いたしました。山を行楽登山としてではなく、修行場として、また御礼詣りとして登拝目的で訪ねるには、並々ならぬ信念が必要だと思います。実際問題、時間も費用もものすごくかかります。
そうしてまで厳しい修行を勤め、気高い志で御嶽山に向き合う川添主管の姿は本当にご立派でした。
川添主管はじめ、太祖神敬講のみなさんの信仰心、その信仰を代々受け継いでいる意志の強さ、この目でしっかり拝めてありがたかったです。


太祖神敬講の主管・川添海道氏と、強力を勤めた倉本豊さんに、改めて感謝申し上げます。
このように撮影や取材に協力いただき、様子を書かせていただける機会は早々ないことだと思います。この度は快く随行取材させていただき、本当にありがとうございました!


翌日、みなさん無事下山されたようです。登拝おつかれさまでした!


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