近年、御嶽山の三ノ池を「ドラゴンアイ」と呼ぶ現象が起きています。
そのため「ドラゴンアイ」を求めて登山者が後を断ちません。
また、「ドラゴンアイ」という言葉が、本来と違った意味で使用されている状況に違和感を感じています。さらに、三ノ池に対して信仰を無視した行動が多く、悩んでいます。
私は今回、意を決して【三ノ池】について炎上覚悟で取り上げたいと思います。
三ノ池「ドラゴンアイ」の愛好家のみなさまには誠に申し訳ないですが、
御嶽山の三ノ池は断じて「ドラゴンアイ」ではありません。
三ノ池≠ドラゴンアイです!
全否定してすみません。
しかし、三ノ池を「ドラゴンアイ」と呼ぶのは大きな間違いであるという、
その理由として、
- 無理やりなこじつけである
三ノ池は「ドラゴンアイ」とは言えない - ドラゴンアイは固有名詞ではない
三ノ池そのものを「ドラゴンアイ」と呼ぶのは文法的に間違い - 信仰面からアウトである
御嶽山は霊山で、三ノ池も御神体なので「ドラゴンアイ」と呼ぶのは礼に欠ける
以上3つの観点から、以下に詳細を述べます。
誠心誠意を込めて書きましたので、多くのみなさまに賛同していただけるよう願っています。
ドラゴンアイとは現象名
まずはこの、「ドラゴンアイ」という言葉の意味を考えましょう。
冒頭に、三ノ池を「ドラゴンアイ」と呼ぶのは無理やりなこじつけだ、と言いました。若干乱暴な言い方から始めてしまいましたが、分かりやすく伝えるための表現だとご容赦願います。
「ドラゴンアイ」とは、状態を表す言葉であって、呼び名ではありません。
八幡平の鏡沼が由来
元々「ドラゴンアイ」は、岩手県の八幡平という百名山にある池(鏡沼)が由来です。


この鏡沼は、雪解け水が流れ込み、冬に凍った部分が外側から円形に溶け始めて、中心へ向かって白く雪が残っていきます。中心の雪が持ち上がることで、外側の雪解け水がブルーのリング状になる大自然の造形美です。
鏡沼は円形なので、「それが龍の瞳のように見える」ということから、この八幡平の鏡沼は「ドラゴンアイ」と呼ばれるようになりました。
つまり、「龍の瞳のように見える」一過性の融解現象なんです。


上記写真は、まだ縁が解け始めたばかりで、「ドラゴンアイ」の“開眼前”という状態です。実際の「ドラゴンアイ」は下記のリンクをご覧ください。
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つまり「ドラゴンアイ」とは状態を表す言葉だとまずご理解ください。池そのものの名前ではないということです。
ドラゴンアイと呼ぶには無理がある
そして近年、御嶽山の三ノ池も同じように「ドラゴンアイ」と呼ばれるようになっています。
しかし私は、三ノ池に「ドラゴンアイ現象」が起きているとは言えないと思いました。
まず、三ノ池は鏡沼のように丸くありませんし、楕円形ですらありません。

つまり、瞳のように円形状に溶けないんです。そのため、池の外側が溶けて、中心部が白く残ったとしても、「瞳」とは言うには表現的に無理があると思うんです。

色んな方の写真を見ましたが、正直「龍の瞳に見え」ません。

ちょっと八幡平のドラゴンアイに似た感じに溶けていて、
三ノ池に龍神が祀られているからという理由で、三ノ池を「ドラゴンアイ」と呼んだのが始まりだと思いますが、実際見てみればかなり無理がある表現と思いませんか?
ドラゴンアイは固有名詞ではない
次に文法的な意味で、「ドラゴンアイ」について述べます。
「ドラゴンアイ」のひとり歩き
仮に、三ノ池の融解現象を「ドラゴンアイ」と呼んだとします。
それでも困った傾向があります。
氷が溶けた三ノ池や、三ノ池そのものを指して、「ドラゴンアイを見てきました!」という人が増えているんです。他にも、
「三ノ池ドラゴンアイ見てきました」
「ドラゴンアイ開眼ならず〜」
「ドラゴンアイもう溶けてた」
「少し氷が残っていましたが、ドラゴンアイを見れました」

どういうことかと言うと、融解現象の「ドラゴンアイ」を、固有名詞のように「三ノ池ドラゴンアイ」と呼ぶ行為が増えているということです。「ドラゴンアイ」という言葉がひとり歩きし始めているんです。
それが、
「三ノ池=ドラゴンアイ」
(つまり「三ノ池ドラゴンアイ」という固有名詞ができつつあること)
これだけは何としても阻止すべき!
この間違った定着はかなり違和感あります。
まるで、お揚げをのせる前の「かけうどん」に対して「きつねうどん」と言ってるようなものです。
名付けの悲劇
時に名前とは安直に名付けられ、それがあっという間に定着してしまうというのは、歴史の性かもしれません。
たとえ間違った意味だったとしても、名前(呼び名)とはなかなか変えられないものです。
- 改札口- 本来は「改める」でなく「検める」(検問的な意味合い)が正解なので検札口というべきだった
- シロサイ- WideサイをWhiteサイと間違えたため、白くないのに「白サイ」という変な訳になった
- 羊が1匹、羊が2匹、-上記に同じくsleepをsheepと訳したため、本来と違う言い回しができた
言葉は一度浸透して定着しまうと、そう簡単に元に戻せないのです。それは思った以上に影響力があり、パワーがあるからです。
そのため今の段階で、この「三ノ池=ドラゴンアイ」という間違った浸透を何としても阻止したく、この場ではっきり言わせていただきます。
三ノ池はドラゴンアイじゃありません!
信仰面からアウト
では三つ目、ここからが重要なお話です。
三ノ池は水深が13mもあり、高所には珍しい、豊かな水を湛えた池です。
三ノ池は龍神そのものである
三ノ池は、古来から龍神の棲む池とも言われ、白龍や青龍が祀られています。水深13mの水源が作り出すこの池は、神秘的な蒼色を纏い、まさに龍神の存在を感じさせてくれます。
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黒澤口第十七番 三之池 摩利支天


言うなれば三ノ池は龍神そのもの。
決して「アイ(瞳)」などではない。
三ノ池の融解現象を龍神と掛けて、
「これぞ本物のドラゴンアイ」とばかりに宣伝したことが、
そもそもの間違いだったと私は思います。
三ノ池を「ドラゴンアイ」と呼ぶことは、龍神さまにあだ名を付けて呼んでいる行為と同じに思えて、残念な気持ちになります。
三ノ池の本来の姿を考える
本来、三ノ池は観光地ではないんです。
その水は持ち帰っても腐らず、大昔から御神水として大切にされてきました。御嶽信者たちは、三ノ池の水を浸した紙を持ち帰り、薬や御守りとして後生大切に扱ってきたんです。
そんな神聖な場所が三ノ池です。
三ノ池に「ドラゴンアイ」と名をつけるのは礼を欠いた言い方で、信仰的には完全にアウトだと私は思います。どうか、礼節をもった対応を、今一度登山者や観光局の方に考えてもらえないだろうかと願います。
かつて御嶽山は、100日間の精進潔斎をしないと登れませんでした。さらに三ノ池へ行くには、それを3回行ってからでないと許されなかったといいますから、いかに重要で神聖視された場所だったということが伝わると思います。
かたい言い方ですが、これをなるべく多くの方に知ってもらいたいんです。
三ノ池のタブー

三ノ池は、御嶽信仰においては非常に重要な場所で、大切に信仰されています。ただの水場では、決してありません。今でも池の水に直接触れることはタブーで、柄杓で掬わないといけません。
直接水を汲んだり、手や靴を洗ったり、

氷の上に乗ったりすると言う行為は、
御法度中の御法度!!
(ごはっと:禁止行為)

正直言うと、神罰 ものです。

雪の上を通って、本来のルートと違う道から三ノ池の縁に立つのもお控えいただきたいです。ルートについてはまた別の機会に取り上げます。
現代に残る禁忌を知ること


日本には、
高野山の奥之院のように、神聖で霊験あらたかな場所がいくつか残っています。

一切御開帳しない秘仏や、出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)の湯殿山神社のように、他言が禁忌な場所もあります。(中の様子を一切漏らしてはならない)


そのような場所はもちろん撮影も禁止ですし、救済的な場所であると同時にとても厳粛な場所なんです。現代に残る御法度、禁忌、タブーと言えます。

三ノ池も、本来ならこういう場所だったんだと思います。
まとめ
私が伝えたいこと
今では誰でも訪れることができる三ノ池です。
それはとてもありがたいことなんだということを、どうか忘れないで伝えていきたいです。
たくさんの方に御嶽山を訪ねていただきたいし、美しい三ノ池をぜひ見てもらいたいです。
そして、三ノ池に対して今一度、礼を尽くしてもらえたらと願います。

単純に「ドラゴンアイ」目的で御嶽山に登ることは、三ノ池に対しても御嶽山に対しても礼を欠く行為だし、あまりに勿体無いです。
三ノ池は「ドラゴンアイ」目的で訪ねたり誘ったりする場所ではありません。どうか三ノ池を残念なものにしないでほしいです。
美しい三ノ池
三ノ池はいつでもそこにあるだけで美しいし、手を合わせて、みなさんの心に残ってくれたらそれだけで嬉しいです。

水深13mが誇る神秘的なブルーを見て、龍神さまの存在を感じてみてください。
時間があれば登山道を通って、三ノ池の辺りに立ってみてください。
龍神さまが祀られていますし、祠も建っています。

三ノ池はどんな姿でもただ、「三ノ池」です。


凍っていようが、溶けていようが、三ノ池は美しく「龍そのもの」で「御神体」なんです。

「ドラゴンアイの間違い」まとめ
- 無理やりなこじつけである
三ノ池は「ドラゴンアイ」とは言えない - ドラゴンアイは固有名詞ではない
三ノ池そのものを「ドラゴンアイ」と呼ぶのは文法的に間違い - 信仰面からアウトである
御嶽山は霊山で、三ノ池も御神体なので「ドラゴンアイ」と呼ぶのは礼に欠ける
以上、
御嶽山の三ノ池は「ドラゴンアイ」ではない!
(三ノ池≠ドラゴンアイ)
という内容を、お話ししました。
少しでも伝わりましたら嬉しいです。
もちろん私イチ個人には、言葉を制限する権限も力もありません。しかし発信しないことには何も変わらないと思い、微力ながら切なる思いを述べさせていただきました。
勝手ながら、
「ドラゴンアイ」という言葉が御嶽山から消えますように、切に願っています。
最後になりましたが、今回の記事に協力くださった大鐘龍昇先達、鬼頭祥寛氏、友人のR氏(写真提供含む)に厚くお礼申し上げます!
ご拝読、ありがとうございました。
写真提供:
Kazuki K.(八幡平鏡沼)
Yuji H.(冬の三ノ池)
Ryu M.(三ノ池)
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