〈問題〉御嶽山はいつから御嶽山でしょう??

御嶽山のルーツ

ずいぶんとおかしなお題を掲げていますが、これもまた考えると面白かったので、ぜひ共有させてください!

〈答え〉から言いますと、名前が「御嶽山」になったのは江戸時代の末期だそうです。いわゆる幕末と言われている頃で、おおむね1853年(黒船来航)〜1868年(戊辰戦争)とされています。これ以降に、陸地測量部の五万分の一の地図で「御嶽山」と記入されるまでは、呼び名は「御嶽」でした。

では時代をさかのぼります。
【木曽の御嶽山】のルーツについては以前述べていますが、まず奈良の【金峯山寺きんぷせんじ】(別名【かね御嶽みたけ】と呼ばれていた場所)から【金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん】を勧請かんじょうしたのが始まりです。今から約1300年前(600〜700年代)と言われています。

金峯山寺きんぷせんじ】 
別名:【かね御嶽みたけ
修験道発祥の地であり、総本山
場所:奈良県吉野郡
指定:国宝
開祖:役行者
本尊:【金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん

この吉野から熊野へ至る大峰山おおみねさんの道は【大峯奥駈道おおみねおくがけみち】と言われており、この山一体には、かつて金鉱脈があったと伝わったことから、「金のみね」という名が付いたのだと言われています。

“「嶽(岳)」とは多数の頂上のあるものを指していう”
“複数の峰から構成される山を「嶽(岳)」という”

「御嶽の歴史」「木曽のおんたけさん」より

と書かれた文献を見つけました。大峰山も、いくつもの山頂を持つ山脈の総称です。
この嶽(岳)」に敬称である「御」の字を付けたのが「御嶽(岳)みたけ」の語源ではないかと思います。神仏が住まうような霊山に敬意を払って「御嶽(岳)みたけ」と呼んでいたのではないでしょうか。「お山」と同じ意味合いかもしれません。
(「嶽」と「岳」の違いについてはRoots.1【御嶽山】と【御岳山】の違いは?をご覧ください)

話は戻りますが、木曽の霊山(御嶽山)に【金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん】は勧請されました。【かね御嶽みたけ】と言う呼び名も伝わり、おそらく最初はただ「御嶽みたけ」とよばれていたと思います。その後、この木曽の霊山「御嶽みたけ」はその堂々たる佇まいから、おう御嶽みたけ】という呼び名がつけられます。

それによって室町時代初期の山名は王嶽おのたけであったといいます。
王嶽おのたけ】が【御嶽おんたけ】に代わってくるのは室町時代中期で、【おう御嶽みたけ】の「王」の字を略し、
御嶽】で「おうのみたけ」「おおのたけ」「おのたけ」と少しずつ変化して現在の読みである「おんたけ」になったというわけです。

つまり、御嶽(岳)」 と書いて「おんたけ」と読ませるのは【木曽の御嶽山】のみ(もしくは【木曽の御嶽山】に関係する場所)であると伺えます。

一応定義としては、次のようにあげられます。

  • 「山」は頂上がひとつ
  • 嶽(岳)」は頂上が多数

「山は富士山、嶽は御嶽」「富士山を名山、御嶽を名嶽」といった伝承記事が木曽に伝わっています。

残念ながら、この「山」と「」の区別を考えずに、ご丁寧に「御嶽おんたけ」に「山」をつけて「御嶽山おんたけさん」と呼ぶようになったんじゃないかと言われています。(富士を富士山というように)

結論ですが、御嶽おんたけ】が【御嶽山おんたけさん】と呼ばれるのは江戸末期で、それまでの江戸時代の公式の地図はみな「御嶽おんたけ」とあったそうです。

最後に、
もう一つ私が考えるのは、木曽の人々が「御嶽おんたけ」を敬意をこめて「おんたけさん」と呼んでいたからではないかと思います。「〇〇さん」という敬称が「〇〇山」というように漢字で伝わってしまったのもあるように感じます。間違った漢字を充ててしまっている言葉は意外と存在します。

私もこれから【木曽の御嶽山】を呼ぶときは、「おんたけさん」と敬称風に発音してみようと思いました。

以上、参考文献は
「御嶽の歴史」(生駒勘七)
「木曽のおんたけさん」(執筆編集代表 菅原壽清すがわらとしきよ
「御岳山 霊なる山の素顔」(信濃毎日新聞社)
「村誌 王滝」(王滝村)
「修験道入門」(田中利典)

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