一心行者

御嶽山の信仰

入れ変わりの真相はいかに?継母岳と継子岳

前回継母岳と継子岳の入れ変わり説とは!の続きです。 今私たちが認識している【継母岳ままははだけ】と【継子岳ままこだけ】は明治時代以前はそれぞれ逆の位置でした!明治16年版地図と大正7年版地図を境に、二つの山はなぜか入れ変わってしまったんです...
御嶽山の信仰

開闢(かいびゃく)とは?普寛行者の功績!

【普寛行者ふかんぎょうじゃ】は、王滝口の開山時から、弟子たちを幾人も連れて御嶽山を登拝しました。さらに第一回目の登拝から【御座おざ】儀式を行い、御嶽山に多くの神々を【勧請かんじょう】する構想を持っていました。このため【普寛行者ふかんぎょうじ...
御嶽山の信仰

覚明行者にはお弟子さんがいない?

【覚明行者かくめいぎょうじゃ】と【普寛行者ふかんぎょうじゃ】と聞けば、おそらく御嶽山に関わっている人なら誰でも当然の如く知られたお名前だと分かりますよね。 そしてもう少し詳しい人なら、【四大講祖よんだいこうそ】に含まれるもう二人、【一心行者...
御嶽山の信仰

御嶽【御影図(みえいず)】のご紹介!

こちらは、以前【高針心願講たかばりしんがんこう】の先達さまより提供いただいた資料のひとつ、御嶽山の【御影図みえいず】です。神仏や貴人を描いた図のことを言います。 描かれている神仏から、時代はおそらく1800年代〜普寛行者の弟子の時代から明治...
山丸三

【山丸三】の三位一体解釈!?

【覚明講紋かくめいこうもん】の記事「覚明行者の頭陀袋に注目!」でも紹介した書籍「神鳥かむどりの声」に、【山丸三】の新たな解釈が載っていたので紹介します。 【山丸三やままるさん】について何ぞや?となった場合はまず以下を参照ください。気になった...
御嶽山の紹介

武尊山は御嶽山から消えた!?

今回は【武尊山】という山について触れます。【武尊山ほたかやま】と読みます。群馬県にある百名山ですが、武尊を「ほたか」と読める人はかなり少なく、「ほたか」というと「穂高」を連想させるため、中々残念な扱いを受けてる山に感じます。普段は混乱を避け...
埼玉県の御嶽山

秩父御嶽神社を訪ねて

埼玉県の御嶽めぐり、今回最後に訪ねたのは飯能市はんのうしの秩父御嶽神社ちちぶおんたけじんじゃです。明治28年(1895年)11月に、この地の御嶽行者であった鴨下清八によって勧請、創建されました。木曽の御嶽山に祀られている主だった社祠がたくさ...
埼玉県の御嶽山

与野の一山神社は長細い!

前回に引き続き、今回も埼玉県の与野よのからお送りします。一心講紋が掲げてあった御嶽社から、徒歩15分の位置にある「一山神社いっさんじんじゃ」を訪ねました。 すごく長細い境内でした。googleマップでは入り口がわからず、裏の本殿側からぐるぐ...
埼玉県の御嶽山

与野 御嶽社で見た【一心講紋】とは⁈

埼玉県の御嶽巡りシリーズです。前回の田島 御嶽神社は豪華絢爛で見どころありましたね。今回は与野よのという場所にある御嶽社を紹介します。ここにはどうしても確かめたいモノがあるんです。 入り口です 「御嶽神社」の石柱と、両側に「御嶽社」と幟旗の...
御嶽山のルーツ

Roots.5【木曽の御嶽山】は神さまだらけ?!

【木曽の御嶽山おんたけさん】はオリジナルで独立された霊山である  と前回Roots.4【木曽の御嶽山】はオリジナル?にて話しました。  【木曽の御嶽山おんたけさん】には、【御嶽山座王大権現おんたけさんざおうだいごんげん】が祀られたのが最初で...