江戸時代の御嶽山

木曽の御嶽山の話

黒沢と王滝の確執♯番外編

今月は黒沢と王滝の確執について語ってきましたが、今回はその軋轢あつれきが及ぼした、さまざまな影響についてお話しします。黒沢と王滝の確執①武居家と滝家黒沢と王滝の確執②武居家の厄介事とは?黒沢と王滝の確執③王滝、屈辱の戦い?黒沢と王滝の確執④...
木曽の御嶽山の話

黒沢と王滝の確執④軋轢の結末は?

前回まで、黒沢村目線の話と王滝村目線の話をそれぞれ取り上げてきました。今回は引用多めで、実際にどのように記録されていたかをご紹介し、黒沢と王滝の確執かくしつついてまとめに入ります。分かりやすくするために表現をくずしていることをご了承ください...
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黒沢と王滝の確執③王滝、屈辱の戦い?

黒沢口と王滝口の神主である武居たけい家けと滝たき家けの紹介をしています。前回は、覚明行者と普寛行者がそれぞれ御嶽山を開山した結果、何が起こったのかを武居たけい家け目線で解説しました。今回は、「③王滝、屈辱の戦い?」です。前回の後半部分と内容...
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黒沢と王滝の確執②武居家の厄介事とは?

前回、御嶽山開山前(〜1785年)に起こっていた武居たけい家けと滝家たきけの紹介をしました。王滝村は、黒沢村と比べてかなり不遇な扱いを受けていたので、なんとなく関係が悪い理由が分かったでしょうか?今回の「②武居家の厄介事とは?」では、覚明行...
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黒沢と王滝の確執①武居家と滝家

御嶽山(長野県側)は、主に二つの登山道があります。【覚明行者かくめいぎょうじゃ】が開いた黒沢口【普寛行者ふかんぎょうじゃ】が開いた王滝口ずっと取り上げたかった、黒沢口の武居たけい家けと王滝口の滝たき家けのシリーズを始めます。分かりやすくする...
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女人禁制は御嶽だけじゃない!(高野山と吉野)

御嶽山はかつて、【女人禁制にょにんきんせい】でした。これまで御嶽山の女人結界にょにんけっかいの位置や、女人堂にょにんどうの歴史についてふれてきましたが、実は【女人禁制にょにんきんせい】の山は御嶽山だけではありません。高野山こうやさんもかつて...
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山小屋【女人堂】の歴史

女人堂にょにんどうは、現在御嶽山にある小屋の中では一番古くからあることで知られています。それは女人堂にょにんどうのホームページにも書かれていますし、疑いもしていません。がしかし、一度調べてみたくなったのでお付き合いください。今回取り上げてい...
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女人結界はいつ解かれたか?

御嶽山には女人堂にょにんどうという小屋があります。その昔、御嶽山は女人禁制にょにんきんせいであり、女性は女人堂にょにんどうがある八合目までしか登拝を許されませんでした。というのはそこそこ知られていますが、今回は、その【女人結界にょにんけっか...
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軽精進ってどれくらい軽くなった?

【覚明行者かくめいぎょうじゃ】の動きによって、1792年に御嶽山は百日潔斎から開放されました。それは【覚明行者かくめいぎょうじゃ】の命を懸けた願いでもありました。しかし、開放されたと言っても、今のように誰でも自由に登れたわけではありません。...
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教えて!御嶽山三十八座ぜんぶ!

今回も、御嶽山が一般に開山される前のお話!中世から江戸時代にかけて御嶽山には、三十八座の神仏が祀られていました。頂上・山中・山麓さんろくそれぞれに配置されており、それらを百日間の重潔斎を含めた登拝時に巡拝していたようです。また「三十八」とい...