御嶽山の信仰 入れ変わりの真相はいかに?継母岳と継子岳 前回継母岳と継子岳の入れ変わり説とは!の続きです。 今私たちが認識している【継母岳ままははだけ】と【継子岳ままこだけ】は明治時代以前はそれぞれ逆の位置でした!明治16年版地図と大正7年版地図を境に、二つの山はなぜか入れ変わってしまったんです... 2024.12.22 御嶽山の信仰木曽の御嶽山の話
御嶽山の信仰 継母岳と継子岳の入れ変わり説とは! 前に継母岳と継子岳の由来〜阿古多丸伝説〜という記事で、【継母岳ままははだけ】と【継子岳ままこだけ】の由来や【阿古多丸あこたまる伝説】について紹介しました。 ですが、伝説や名前というものは意外と曖昧に伝わっています。山の名前も地名も、間違って... 2024.12.20 御嶽山の信仰木曽の御嶽山の話
御嶽山の紹介 北御嶽の高天ヶ原(タカマガハラ)! 高天ヶ原は「タカマガハラ」と読みます。他所よそでも聞いたことのある単語かもしれません。【高天ヶ原たかまがはら】と名の付く場所は、以前紹介した【賽さいの河原かわら】と同じく全国各地にあります。【賽さいの河原かわら】が死者の世界を表しているとす... 2024.12.10 御嶽山の紹介木曽の御嶽山の話
御嶽山の紹介 石室vs女人堂!どっちが先? 「最も古い」「一番最初」の小屋は、石室いしむろか女人堂にょにんどう、どっちか?? 前回私は、【石室の小屋】は御嶽山で最も古くから存在する小屋であると言いました。 「じゃあ、女人堂のホームページは間違っているの?」と思いますよね? 女人堂は、... 2024.12.07 御嶽山の紹介木曽の御嶽山の話
木曽の御嶽山の話 御嶽遭難史に残る”石小屋”とは?! 御嶽山の黒沢ルートの9合目に、【石室山荘いしむろさんそう】という山小屋があることはご存知だと思います。今回はその【石室山荘いしむろさんそう】のルーツを辿りました! ナナカマドが映える秋の石室山荘 御嶽遭難史とは? 生駒勘七いこまかんしち著の... 2024.12.05 木曽の御嶽山の話
御嶽山の紹介 山の神さまは女だった?! こんにちは! しつこく【女人禁制にょにんきんせい】の話を引っ張っていますが、本当に奥が深く、書いたり調べたりしてるうちにどんどん湧いてきてしまって、ここまで話数を増やすとは思っていませんでした。 黒沢口第十四番 金剛童子女人結界はいつ解かれ... 2024.12.03 御嶽山の紹介木曽の御嶽山の話
木曽の御嶽山の話 女人禁制は御嶽だけじゃない!(高野山と吉野) 御嶽山はかつて、【女人禁制にょにんきんせい】でした。これまで御嶽山の女人結界にょにんけっかいの位置や、女人堂にょにんどうの歴史についてふれてきましたが、実は【女人禁制にょにんきんせい】の山は御嶽山だけではありません。 高野山こうやさんもかつ... 2024.12.02 木曽の御嶽山の話江戸時代の御嶽山
木曽の御嶽山の話 山小屋【女人堂】の歴史 女人堂にょにんどうは、現在御嶽山にある小屋の中では一番古くからあることで知られています。それは女人堂にょにんどうのホームページにも書かれていますし、疑いもしていません。 がしかし、一度調べてみたくなったのでお付き合いください。 今回取り上げ... 2024.11.25 木曽の御嶽山の話江戸時代の御嶽山
木曽の御嶽山の話 女人結界はいつ解かれたか? 御嶽山には女人堂にょにんどうという小屋があります。その昔、御嶽山は女人禁制にょにんきんせいであり、女性は女人堂にょにんどうがある八合目までしか登拝を許されませんでした。 というのはそこそこ知られていますが、今回は、その【女人結界にょにんけっ... 2024.11.23 木曽の御嶽山の話江戸時代の御嶽山
御嶽山の紹介 アルマヤ天狗はどこにいる?! 最近、御嶽山の信仰としての【摩利支天まりしてん】や【摩利支天山まりしてんやま】の紹介をしてきましたね。元々私が働いていた小屋からよく見える山でしたし、摩利支天像があったという話もしました。【摩利支天まりしてん】の謎がおおかた解けたところで次... 2024.11.21 御嶽山の紹介木曽の御嶽山の話