まごころの塔とは?

御嶽山の信仰

御嶽山には【まごころの塔】というモニュメントが建っています。
今回はこの【まごころの塔】についてお話しします。

【まごころの塔】と聞いてピンとこなくても、この画像を見たら
「ああ、あのグルグルしたやつね!」と分かるでしょうか?

【まごころの塔】が建つ場所は【八丁ダルミ】と言って、御嶽山の剣ヶ峰頂上と王滝頂上の間に広がる砂礫地されきちです。2014年の噴火時には、もっとも被害を出した痛ましい場所でもあります。

剣ヶ峰から見下ろした八丁ダルミ

【まごころの塔】が建てられたのは昭和40年代なので、2014年の噴火よりずっと以前から【八丁ダルミ】にありました。噴火災害による慰霊塔ではありません。

まごころの塔の破損?!

御嶽山は今年の7月に規制が緩和かんわされ、王滝頂上〜八丁ダルミ〜剣ヶ峰も開通しました。その折に、【まごころの塔】が大きく破損していることを知りました。

提供写真

大きく根本近くから折れてしまっています。

提供写真

台座の足元にグルグルが落ちているのがわかります。

昨年の閉山時までは、あのグルグルを確認できたので、今年に入ってなんらかの原因で破損したと思われます。おそらくは経年劣化けいねんれっかだと思われます。

【まごころの塔】は、2014年の噴火の際にも先端の避雷針ひらいしんの部分が破損したそうですが、今回は根本近くから大きく破損してしまいました。

あのグルグルは2つあった?!

御嶽山の【まごころの塔】は破損してしまいましたが、実は全く同じ塔が新潟県にあるんです!発見した時は驚きました!(今回は簡単に紹介します)

昨年、新潟県の八海山はっかいさんへ登山した時のことです。八海山はっかいさんといえば、御嶽山にも八海山神社がありますが、元はこの越後えちご(新潟)にあった八海山はっかいさんが由来です。八海山はっかいさんを普寛行者と弟子の【圓城院えんじょういん泰賢たいけん】が開山して、そののちに御嶽山へ勧請かんじょう(分霊)されました。(八海山と三笠山って、御嶽山とどういう関係?

登山口には御嶽教の新潟霊場があるんですが、そこに見覚えのあるシルエットを発見しました。

もしやあのグルグルは?!

御嶽山にあるのと全く同じ【まごころの塔】でした。

御嶽山の【まごころの塔】と、全容を比べてみてください。

先端の避雷針

なるほど、先端はこのような形だったんですね!

まごころの塔はなぜ建てられた?

次に【まごころの塔】そのものについて解説します。

【まごころの塔】は御嶽教の開教90周年を記念して建立されました。これは御嶽山と八海山両方の【まごころの塔】に彫られている共通の内容でした。

御嶽教の開教は明治15年(1882年)ですので、90周年ということは昭和47年(1972年)のことだと分かります。

実際の建立時期はズレていて、八海山の【まごころの塔】建立は「昭和49年7月吉日」と彫られていました。

御嶽山のまごころの塔にも、「昭和49年7月」と彫られているように見えましたが、劣化によりはっきりとは読めませんでした。私自身は未確認ですが、とある文献には、「昭和48年8月8日」だとも書かれているようです。

いずれにしても2基の【まごころの塔】は以下の共通点から同時期に作られ設置されたということが分かります。

  • 【まごころの塔】は御嶽教によって建てられた
  • 御嶽教の開教90周年を記念して作られた
  • 御嶽大神を讃えている
  • 先端に避雷針がついており、登山者の安全を計っている
  • 台座には、この事業に協力した者の芳名帳が納められている

どうして新潟の霊場にも建てたのか?他にもあるのか?は不明なままですが、御嶽山から遠く離れた新潟の地にも全く同じものを建てるくらい、御嶽教の信仰が大きかったことが分かりますね。

御嶽教って何?

ここで新たなキーワード【御嶽教】です。
「御嶽教?って何?御嶽講と何が違うの?」
と思いますよね。御嶽講については以前も取り上げていて、サークルのような任意団体だと話しました。(御嶽講って何?〇〇講の意味とは?

道の駅木曽福島は御嶽山を見ることができますが、対岸のひときわ目を引く建物が御嶽教の木曽本宮です。私も初めて見た時は、「なんだあの立派な建物は?!」と驚きました。

【御嶽教】とは簡単にお話しすると、神仏分離令によって親元を無くした御嶽講たちが結集して、日本政府に正式に活動を認められた機関です。御嶽講がサークルだとしたら、御嶽教はサークル活動する場所(学校)みたいなものです。

〇〇教、と聞くと怪しい宗教団体に聞こえてしまいますが、全く違います!

御嶽教は国に認められた、正式な神社です。明治に入ってできた比較的新しい神社、といえば伝わりますか?特徴は神道しんとう(御嶽大神を祀る神社)であることと、普寛系列の御嶽講によって設立されたということです。

今回の【まごころの塔】の塔破損に際しては、誠に傷ましく、拝察いたします。破損した【まごころの塔】は御嶽教によって回収されて、先端の避雷針とともに御嶽教木曽本宮に安置されているそうです。

写真提供:三浦 賢(ケニー)氏

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