教えて!御嶽山三十八座ぜんぶ!

木曽の御嶽山の話

今回も、御嶽山が一般に開山される前のお話!

中世から江戸時代にかけて御嶽山には、三十八座の神仏が祀られていました。頂上・山中・山麓さんろくそれぞれに配置されており、それらを百日間の重潔斎を含めた登拝時に巡拝していたようです。また「三十八」という数字や、各所の名前は、吉野や熊野の深い影響を受けているようです。

今回はその、【御嶽山おんたけさん座王権現ざおうごんげん三十八座さんじゅうはちざ】が何か調べてみました!
△の数で一座分を表してあります。
緑字が、今も残存していると思われる場所です。
実はもうほとんど残っていないため謎に包まれております!

頂上十八座 △△△ △△△ △△△ △△△ △△△ △△△

まずは頂上十八座ちょうじょうじゅうはちざを紹介します。頂上とは今の剣ヶ峰けんがみね頂上や、王滝おうたき頂上、そしてニノ池付近を指しているようです。

△△△△△
王権現おうのごんげん 五座1
祭神:【大己貴命おおなむちのみこと
場所:頂上

現在の頂上奥社には、御嶽大神は白川権現、大日如来が祀られている

△△
駒峯こまみね(駒ヶ嶽)二座2
祭神:二人のきこり(阿古多丸伝説より) 
場所:頂上?

△△△△△△△
日権現ひのごんげん 七座
祭神:【少彦名命すくなひこなのみこと
場所:王滝頂上

金剛童子こんごうどうじ
祭神:【伊弉諾尊いざなぎのみこと
場所:現在同様、八合目付近と思われる

現在の王滝頂上 武尊大神の祠もある

士祖権しそごんげん
祭神:【日本武尊やまとたけるのみこと
場所:ニノ池付近、摩利支天山
(現在は王滝頂上に
武尊大神ほたかおおかみの祠あり)

栗加羅くりから
祭神:【火須勢理命ほすせりのみこと
場所:頂上北に位置する大石

八王子はちおうじ
祭神:【国狭槌尊くにさづちのみこと
3
場所:頂上北に位置する大石
(現在は八海山大神と同義なので八海山神社?)

  1. 王権現はおそらく座王権現を指しており、五座というのが何の習合体を表してるかは正確にはわかりません。
    ・権現-白川少将しらかわしょうしょう
    ・森権現-利生御前りしょうごぜん
    ・三所権現-阿古多丸あこたまる
    ・ひりうの宮(飛滝権現?)-さかの別当
    ・西の御前(西の覗き)-乳母月さへ
    以上、阿古多丸あこたまる伝説の登場人物がが三十八座に習合されているということが御嶽縁起に載っているようです。しかし、西の御前は山中に一座設けられているため数は合わないです。
    ↩︎
  2. 同じようにこの二座は、阿古多丸を葬った二人のきこりを指すようです。 ↩︎
  3. 国狭槌尊くにさづちのみこと は現在は八海山大神として祀られています。 ↩︎

山中六座 △△△ △△△

次に山中六座さんちゅうろくざを紹介します。この山中さんちゅうは、中の湯や飯森いいもりを指す地名が残されているため、現在の黒沢口6合目付近を表しているという事が分かります。

大江権現おおえごんげん
祭神:【伊弉冊尊いざなみのみこと
場所:現在の六合目(中の湯)付近?
現在は王滝登山口付近に祀られている

王滝登山口に祀られている大江権現

湯之権現ゆのごんげん
祭神:不明
場所:現在の六合目(中の湯)付近?

青木権現あおきごんげんあお御前ごぜん
場所:おうぎの森

△△飯之老翁いいのおうじいい王子おうじ)二座
場所:飯森いいもり

西之権現にしのごんげん(西の御前、西ののぞき)
祭神:乳母 月さへ(阿古多丸伝説より)

山麓十四座 △△△△ △△△ △△△△ △△△

最後に山麓十四座さんろくじゅうよんざです。この山麓さんろくは現在と同様、王滝側と黒沢側に分かれて設置されていたことが分かります。

〔王滝上島〕側
岩戸
場所:王滝里宮

王滝の御嶽神社里宮

△△大宮 二座
小宮
小路之木 
場所:上島、王滝里宮?

野口高岩
田中社 
場所:沢(樽沢)

野口(樽沢)
場所:鞍馬の滝、現在はダムで水没

牧野大明神
場所:牧尾ダム上の滝?

〔黒沢田中〕側
本社
祭神:【少彦名命すくなひこなのみこと】(八幡大菩薩)
場所:黒沢里宮

黒沢の御嶽神社里宮

若宮
祭神:【大己貴命おおなむちのみこと】(安気大菩薩) 
場所:黒沢若宮
 

△△美濃加子母 二座
祭神:拝殿

白川
祭神:【白川大神】
場所:不明、現在は黒沢口五合目付近

当時の登山道は?!

こちらは「村誌 王滝」に載っていた御嶽登山道想定図(中世の行者道)です。

これらを併せますと、

  • 山麓さんろくは今と同様に王滝口と黒沢口があった
  • 王滝口と黒沢口からそれぞれ山中へ向けて、道があった
  • おそらく現在の中の湯や飯森あたりで合流し、それぞれのぼう(ミヨ)で一泊後、頂上へ向けて出発した
    (詳しくはこちら百日潔斎江戸時代の御嶽ガイドブック!?)

明治以降失われたものや、名前が変化したもの、また漢字自体が当て字で曖昧なものも多く、現在にはほとんど残っていませんし場所も定かではありません。何しろ資料も少ないですし、昔の地名もあるため不明点が多く申し訳ないです。また新しい事がわかったら加筆いたします。

ですが、このように多くの神々を勧請して習合しているこの複雑さが、御嶽山の特徴であると言えます。

三十八史跡巡りとは別物!?

この【御嶽山おんたけさん座王権現ざおうごんげん三十八座さんじゅうはちざ】を巡拝していた名残を残すため、新たに作られたのが御嶽山三十八史跡巡しせきめぐりです。ここで言う三十八史跡は、平成21年に新しく設定された場所ですので、元の三十八座は緑字で紹介した場所しか含まれていません。(一部例外あり)

御嶽山三十八史跡巡りというカテゴリーで、主に黒沢側の史跡から紹介していますので、そちらも読んでみてください。

それにしても、改めて御嶽山は
神さまだらけですね!!
ここまでの神様集合山(かみさましゅうごうやま)は他所にはないと感じました!

参考文献:
「御嶽の歴史」(生駒勘七)
「朱印帳 御嶽山三十八史跡巡り」(木曽御嶽神社)
「村誌 王滝」(王滝村)

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