私が【木曽の御嶽山】を調べるにあたって協力してくれている知人、友人が幾人かおります。御嶽同志と呼んだりもしています。強力の回でも二人紹介しましたね。
質問!強力(ごうりき)って何ですか?!
強力の真髄を見た!強力取材③
今日はその御嶽同志の中でも、師匠と呼ぶに相応しい人物を紹介します。この方については、一回の記事では収まらないほどの情報があるため、今後回を重ねていくつもりです。
御嶽レジェンド!
御嶽師匠は、生まれも育ちも木曽郡王滝村の現在67歳の男性、澤田義幸さんと言います。先日紹介した強力さんと同年で、まさに御嶽の双璧と言えます!
師匠とは、御嶽山の山小屋で出会いました。3年前からそこで私が働くようになってからの付き合いになります。この御嶽師匠はもうこの山小屋に通い始めて、かれこれ50年になろうかというまさにレジェンドな存在!師匠はおよそ10代の頃から、御嶽山へ通い、小屋番や荷上げの仕事を続けており、社会人となってからもバイト半分楽しみ半分で山へ上がっていたそうです。
御嶽山を愛し、小屋を慈しみ、石碑に手を合わせ、お山に関わる師匠の姿は素朴で慈愛を感じます。そして師匠は、師匠を知るすべての人から愛される人柄と人格を持っています。会えばすぐ、師匠の魅力が伝わるかと思います。
師匠の目には、今の御嶽山や山小屋がどのように移り変わってきたのか?!それを知りたいと同時に、残していきたいという思いが年々強くなってきました。
御嶽師匠からは、昔の貴重なお話をたくさん聞く機会もあり、また当時の写真をたくさん見せていただきました。「現在、定員40名の山小屋に昔は600人泊めていた!?」など、その様子は大変面白く、とてもワクワクするものばかりです。今後も紹介していきます。
半世紀という長さ
これまでの小屋の歴史を実際に生きてきた存在。しかし私が師匠と呼ぶのは、小屋番の大先輩という意味だけでなく、どちらかというと御嶽山全般の師匠といった意味合いです。師匠が御嶽山の人生の中で培ってきた、御嶽山の知識は多岐にわたります。
地形地質の話から、火山の話、植物の話、御嶽山の話、全てにおいて大変詳しく、また深い関わりがあります。御嶽山に関する書籍には必ずといっていいほど名前が載る師匠。写真の提供や、資料の解析にも協力してきた足跡が随所に見られます。私の御嶽山に関する質問、疑問にもたくさん協力いただきました。
私はまだ50年も生きていませんが、その長さをまもなく知る年齢ではあります。そして一つのことに関わり続けるというのが、どれほど難しいかということはわかります。
師匠は御嶽山のいわゆる最盛期と衰退、現代への移り変わりをずっと見守ってきた存在です。御嶽山のシーズンは夏の数ヶ月ほどではありますが、師匠はそこでの生活を半世紀近くも続け、ずっと御嶽山と共に生きてきたというのですから、もう記録というよりは生きた歴史といえます。そんな貴重で希少な話を直に聞けるのですから、感嘆と感謝の気持ちでいっぱいです。
師匠との交流
2年前に私が「御嶽古道に興味がある、王滝村の滝や神社を見にいきたい」といった話をした際に、たまたま師匠に案内していただける機会を得ました。場所の紹介だけでなく、地質地形の説明や、忘れられた昔の史跡なども案内していただきとてもありがたかったです。
その時に【御嶽山座王大権現】の石碑を発見したのが、私が御嶽山とより深く関わろうとしたきっかけだったかも知れません。探究意欲にスイッチが入ったのを覚えています。そして師匠からは、「王滝はとても一日じゃ回れない、もっとたくさん(案内したい場所)がある」と言われたのも印象的でした。
その後も
私「継母岳と継子岳って由来は何なんですかね?」
師「阿古多丸伝説っていうのを調べてごらん」
(継母岳と継子岳の由来〜阿古多丸伝説〜)
といった会話を飲みながら小屋で話したり、
私「御嶽山のルーツを調べたいんですけど、神社に聞けばいいでしょうか?」
師「じゃあまずは関連本を送るから、一度読んでみてください」
・・・というメールのやり取りをして、後日・・・
私「本届きました!ありがとうございます!来月お返ししますね!」
師「学んでくれるのが嬉しいので、差し上げます」
私「じゃあ今度お酒持っていきます!」
師「楽しみにしています」
という流れになったりで、親交を深めていきました。
師匠から頂いた本は、私の多くの疑問を解決すると同時に、新たにたくさんの謎や疑問を湧かせました。
今ではかなりコアな御嶽話で、師匠と酒を酌み交わせるようになったと自負しています。
今後も師匠の話を掘り下げて紹介していきたいと思います!
「師匠!お世話になります!!」
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