今回は、御嶽山三十八史跡巡りの黒沢口霊場「第十八番 四之池 五之池」を紹介します。以前、池に棲む龍神の話は紹介していますし、この二つの池は信仰としてはそれほど重要な位置にありません。
【四ノ池】【五ノ池】、そして次回予定の【高天ヶ原】は、御嶽山を彩る自然としての役割が圧倒的に重要かと思います。ここでは朱印帳の記載文と、石柱の場所を主に紹介したいと思います。
摩利支天乗越から北側、五の池小屋へ下る登山道からです。小さな【五ノ池】と、【四ノ池】が覗ける位置です。
四ノ池の記載文から紹介
四之池
「朱印帳 御嶽山三十八史跡巡り」(木曽御嶽神社)
四ノ池のある火口の直径は約八〇〇メートルの湿原で、幾筋かの小川が流れ、這松と高山植物が咲き乱れる花畑となっている。小川は東の絶壁から滝となって流れ落ちる。北壁はなだらかに高天原へ続いている。
五行思想に基づく黒色黒帝龍王大権現が祀られている。
美しく、幻想的に光る【四ノ池】は、朝日に照らされると絶品&別嬪です。
7月は、イワギギョウやオンタデ、コマクサ、イワツメクサ、ミヤマダイコンソウなどが豊富に咲いています。
形は直径800mの火口ですが、記載文の通り、湿原となっていて、水が湧き出しています。
湧き出た水は川となって、増水時には”まぼろしの滝”となって絶壁から流れ落ちます。その様子は、ロープウェイ乗り口からでも遠目に見ることができます。
秋は紅葉も素晴らしいです。
五行思想に基づく黒色黒帝龍王大権現についてはこちらです。
五ノ池の記載文から紹介
五之池
五の池は飛騨口頂上の真下にあり、御嶽山の五つの池の中で最も小さく水深の浅い池であるが常時水を蓄えている。五行思想に基づく黄色黄帝龍王大権現が祀られている。五の池小屋は、明治元年(1867)の神仏分離令までは御嶽山寺を兼ねて仏を祀っていたという。
(「御嶽とその周辺」新井清1959)
【五ノ池】は大変小さいです。“常時水を蓄えている”と記載文にはありますが、実際はかなり少ないです。中央あたりに少し、色が濃くて深い窪みが見えるので、そこから少し湧き出しているかもしれません。
五行思想に基づく黄色黄帝龍王大権現についてはこちらをご覧ください。
御嶽山で屈指の人気を誇る五の池小屋です。
背面のお社が【飛騨頂上】(2811m)のピークとなっています。明治まであったという【御嶽山寺】には驚きですね。ここにも【神仏分離令】の足跡発見です。何か名残が残っていなか、次回小屋の方に尋ねてみようと思います。そもそも、五の池の小屋も、明治以前には存在していたということですね!
石柱の位置
前回、摩利支天と三ノ池の紹介で、「どうして摩利支天と三ノ池を同番にした?!」とツッコミましたが、今回も同じくです。【四ノ池】と【五ノ池】を一緒コタにするなんて、残念であります。
おかげで石柱もまたヘンテコな位置にありました。
五の池小屋の横に、大きな霊神碑が建っています。【大龍霊神】と彫ってあります。その脇に、遠慮がちに石柱があるのがわかりますか?
こちらです。ちなみに黒色黒帝龍王大権現と黄色黄帝龍王大権現の石柱もここに倒れています。ちょっと無残です。元は違う場所に建っていたのを、ここに回収したようにも感じます。
「黒澤口第十八番 四之池 五之池」と彫ってあります。一応、位置的には二つの池の間、という解釈でしょうか?
同番であろうがなかろうが、【四ノ池】と【五ノ池】の素晴らしさは関係ありませんね!最初に申したように、この場所は御嶽信仰を学ぶというよりは、純粋に高山としての御嶽山を楽しむ場所かなと思います。ありのままの自然を味わいに何度でも訪れたい場所です。
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