都合により、十七、十八、十九を超越して、先に二十番である賽の河原を紹介します。
毎回番号順でなくて申し訳ないですが、以前に【賽の河原】について記事を書いたので、先に御嶽山三十八史跡巡りとしての「賽之河原」を紹介します。
というのも、既にこの御嶽山三十八史跡巡りに関してはいくつかツッコミを入れてますが、何となく順番もおかしく感じるんですよね。この違和感については、全部紹介終わった後にまとめたいと思います。
賽の河原への行き方
以前の記事でも少し書いてますが、【賽の河原】はニノ池と摩利支天乗越の間にあります。黒沢口第十六番 ニ之池覚明入定之地で紹介したニノ池とニノ池山荘を横切ると、北側に視界が開けます。

外輪山である摩利支天山が左、右にはアルマヤ天というピークがあります。(摩利支天についてはこちら)写真のように視界が良ければ奥に御嶽山の北峰である継子岳、さらに奥に乗鞍岳、北アルプス、とまさに天空の窓のように3000m峰が繋がっているのを望めます。

奥に白龍避難小屋が建っているのがわかるでしょうか?道は徐々に下っていき、下り切ったらそこが【賽の河原】です。ニノ池山荘からそのまままっすぐ下っていく道と、二の池ヒュッテという小屋を経由する道がありますが、どちらを通っても【賽の河原】へ繋がっています。時間もほぼ同じです。そして白龍避難小屋〜摩利支天乗越へ登り返します。

【賽の河原】下り切って、後ろを振り返るとこんな景色です。ニノ池からは約15分ほどで着きます。
朱印帳の紹介文
賽之河原
二の池と摩利支天岳の間に広がる火口原である。
此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる三途川の河原を賽の河原と呼ぶ。親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場であるという。
子供たちは親の供養のために拾った小石を積み重ねて塔を作るが、完成する前に鬼が来て塔を破壊してしまう。崩されても崩されても塔を築いた子供たちは、最終的に地蔵菩薩によって救済されるといわれている。
信者たちが亡き子供の霊を慰めるために無数にある大小の火山岩を積んで作った塔や地蔵が多数ある幽玄な場所である。
賽の河原はお鉢巡りの順路では、一番迷いやすいところである。
今の呼び名は「摩利支天“山”」ですが、かつては「摩利支天“岳”」だったんですね。いつから変わったのか、これも調べがいがありそうです。

火口原とは、外輪山と火口丘の間の平坦部を指します。つまりカルデラの一番低い部分の平らな場所のことです。写真の通り、【賽の河原】は分かりやすい火口原と言えますね。
【賽の河原】の説明に関しては、「ウィキペディアを参照した」と書かれており、若干信憑性に欠けますがおおよそ他の文献と比べても相違なかったと思います。詳しくは前の記事をご参照ください。
石柱が賽の河原にはない!?
ところで、いつも紹介している「三十八史跡」の石柱がここ【賽の河原】にはないんです。毎回通るたびに探していましたが、全く見当たりません。壊れたのか、そもそもないのか、埋もれているのか、と断念していましたが、ある時師匠が見つけてくれました!
師匠「おー、あったぞー」
私「マジっすか!どこにあったんですか?!」
その時は写真で教えてもらいました。それがここです。


「え!?ここって白龍避難小屋じゃないですか?」

そう、白龍教会の初代管長さんの銅像の横です。倒れているのはさておき、全く【賽の河原】じゃないところに建ってました。ここも何度も通っていますが、全然気が付きませんでした。師匠には感謝しましたが、同時に、
「なんでやねん!」と発していました笑
どうして【賽の河原】に建てられなかったのか?それにはまあ事情があるのかもしれませんね。
しかし嬉しい報告もあります!
数ヶ月後、同じ場所を訪ねたらなんと、石柱が直って建ってました!


てっきり師匠が直したのかと尋ねましたが、心当たりはないそうです。

こうして見ると、「この先が賽の河原ですよ」と教えてくれているように感じますね。
どなたか存じませんが、壊れた石柱を憂いて直して下さったことに感謝します。そして御嶽山を想っていただきとても嬉しく思います。ありがとうございます。
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