御嶽山三十八史跡巡りの、黒沢口第十四番である【金剛童子】を紹介します。
すでに
黒沢口第十一番 白川大神
黒沢口第十二番 覚明行場
黒沢口第十三番 百間滝
黒沢口第十五番 覚明堂
黒沢口第十六番 ニ之池覚明入定之地と紹介してきているため、今回は間の十四番を埋めたいと思います。
今回は新たなキーワードがたくさん出てきます!
金剛童子の位置
中の湯登山口から約2時間、もしくはロープウェイ駅から約1時間樹林帯を登ってくると、8合目である【女人堂】に着きます。ここで登山者は一息つくことができます。
休憩を済ませ、【女人堂】から約10分登った位置に【金剛童子】はあります。ようやく森林限界を越えた、見晴らしの良い場所です。
御嶽山の頂が目の前にそびえています。
【金剛童子】の石碑です。前回話した通り、墨でなぞられていないためよく見えませんが、「黒沢口第十四番 金剛童子」と彫られています。
そしてここにも数々の重要な霊神碑が建てられています。
金剛童子とは?
山上の祭神について永正四年の奥書のある古祭文中には次のように記せられている。
「御嶽の歴史」生駒勘七
王御嶽登山社礼伝祝詞巻
「金剛童子 伊弉諾尊 南表八分メ大石座」
(中略)
御嶽一山記録
「伊弉諾尊ヲ祀。金剛童子ニ大石有リ、黄泉平坂ノ道ヲ塞グ千人引ノ石共云ヘシ」
金剛童子は御嶽山座王権現三十八座の一座で伊弉諾尊を祭神する。金剛童子の大石を現世と黄泉の境とし、これより上を特別の霊場として神聖視していた。
「朱印帳 御嶽山三十八史跡巡り」(木曽御嶽神社)
この地を下馬と呼び、登山の道者はここで草鞋を履き替えたので、草鞋の山ができたという。
これより上では用便は紙の上でしなければならないという禁制があった。
明治初年頃まではここから上を女人禁制とした。
上記の文献の通り、御嶽山における【金剛童子】は伊弉諾尊をさしています。御嶽山三十八座でも【金剛童子】は取り上げられていますし、永正四年とは1507年に遡ります。この頃にはすでに【金剛童子】は祀られており、古くから信仰されていたことが分かりますね。
現代の【神霊軸】一挙公開!でも、【御嶽大神】である(国常立尊・ 大己貴命・少彦名尊)と並んで一番上に描かれていました。伊弉諾尊は日本の国産みの男神です。
ちなみに国産みの女神である【伊弉冊尊】は、王滝登山道に「王滝口第十二番 大江権現」として祀られているのでまた後日紹介します。
黄泉平坂との境界
【金剛童子】には昔から、黄泉の国との境目である大石があったようです。
私の独断ですが、ここでは大石と読むことにします。「南表八分メ大石座」「金剛童子ニ大石有リ」の大石とは、写真の右側に写っている黒い岩です。そして、
「黄泉平坂ノ道ヲ塞グ千人引ノ石共云ヘシ」の「黄泉平坂」は、「よもつひらさか」と読みます。古事記の黄泉伝承によるもので、この大石をもって黄泉との境としていたようですね。
【金剛童子】は、同じ意味で王滝登山口に「王滝口第十三番 金剛童子」としても祀られています。黒沢口と王滝口、二つの登山道で同じように境界を作り、「神の領域に入る」と言う意識を持たせた場所だと伺えます。
女人結界の位置
そして黒沢口では、この【金剛童子】の大石がいわゆる「女人結界」の場所であり、明治初年ごろ(明治十年以降?)までは女性はここまでしか上がれなかったと言うことです。ここから御嶽山を遥拝していました。
しかしこの「女人結界」の位置は、御嶽山が開山される前は現在の六合目「中の湯登山口」近くでしたよね。(江戸時代!百日潔斎で御嶽へ登る方法とは?!より)
1792年以降、御嶽山は軽精進で登拝できるようになってからは、徐々に「女人結界」の位置は六合目→七合目→八合目と上昇していったようです。そして明治十年(1878年)以降、いつしか女人禁制は解かれ、女性も頂上まで登拝できるようになったようです。
つまり、ここ【金剛童子】が「女人結界」として機能していた時期は、
【覚明行者】や【普寛行者】が御嶽山を開山した1792年以降の数十年間だったということが分かりますね。
実際のところ、女人禁制がいつ解かれたのかははっきりしていないようですが、この女人結界や女人堂、女人禁制についてもまた別の機会に詳しく書きたいと思っています。
金剛童子の景色
登山者によっては、体力の問題で【女人堂】で引き返す方もいるんですが、時間があるならせめてこの【金剛童子】まで登ってもらえたらと是非思います。
城塞のように切り立った御嶽山の稜線を眺めつつ、
【金剛童子】から女人堂を見下ろし(目と鼻の先です)
北川に乗鞍岳、奥には北アルプスである槍ヶ岳や穂高連峰が望めます。
雲海に浮かぶ山々を、江戸時代後期の女人の気持ちになって拝んでみましょう。
そしてこの先へ上がる方は、結界を超えて「黄泉の国」「御神域」「女人禁制の場所」へ入ると言う意識を改めて持つのもいいかもしれませんね。
参考文献:
「朱印帳 御嶽山三十八史跡巡り」(木曽御嶽神社)
「御嶽の歴史」(生駒勘七)
「御嶽の信仰と登山の歴史」(生駒勘七)
「木曽のおんたけさん」(執筆編集代表 菅原壽清)
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