ついに投稿100回目です!ちょうど剣ヶ峰へ着いたのも何かのご縁!?
「第二十二番 頂上奥社」は御嶽山の最高峰3067mの剣ヶ峰にありま。ほぼずべての登山者が目指す場所と言って良いでしょう。
頂上奥社は剣ヶ峰!
では頂上奥社へ参りましょう!前回、三十六童子からのルートがあったと紹介しましたが、今は封鎖されてるので、黒沢十字路を通る道からしか行けません。(もしくは王滝口から登るか)
あと一息という距離ですが、高度もあってなかなかキツイかもしれません。ゆっくり一歩一歩進みましょう。
黒沢十字路をまっすぐ進めば剣ヶ峰です。右へがニノ池、左へは王滝頂上へのトラバースです。
途中、鳥居や石碑も多く見られます。
もうすぐ頂上です。
シェルターの上が頂上奥社です。
慰霊碑に手を合わせたら、上がりましょう。
最後の階段が一番キツイと思います。勢いで上がらず、呼吸を整えて上がってください。
まずは、剣ヶ峰の頂上奥社到着おつかれさまでした!!!
朱印帳文の紹介
奈良時代の宝亀5年(774年)に国内に疫病が流行ったときに勅命により信濃国の国司石川朝臣望足がこれを鎮めるために御嶽山の頂上に社殿を造営し、医薬の祖神の大己貴命と少彦名命の二神を祀ったといわれている。
「朱印帳 御嶽山三十八史跡巡り」(木曽御嶽神社)
この記述が、御嶽山に関する最も古い記録になります。この宝亀5年(774年)が御嶽神社の創祀でもあります。
大和金峰山の蔵王権現を剣ヶ峰頂上に勧請し、王御嶽座生権現と称した。
「朱印帳 御嶽山三十八史跡巡り」(木曽御嶽神社)
室町時代の永正4年(1507年)の奥書のある古祭文によると御嶽座王権現三十八座の首座として王権現と称し、大己貴命を主神として四座を習合して祀った。
そしてこの後半部分、座王に関しては以前詳しく話してますのでここでは割愛します。
気になる方は座王権現についてを熟読ください。
【御嶽山座王権現三十八座】についても、以前の記事をご覧ください。
石碑・道標・社務所
さて、次はいつもの石碑ですね!
こちらが「黒沢口 第二十二番 頂上奥社」に石碑です!珍しく黒い石で作られていました!字が見やすいですね!不思議でしたが、「王滝口第十六番 頂上本社」も同じく黒かったので、おそらく各霊場の最終番号ということであえて色を変えたんでしょうね。
無惨に割れているのは、噴石の影響のようです。
御嶽山三十八史跡
由緒ある三十八史を後世に伝えるために、名称を刻んだ石碑を奉納いたします
そしてこちらが、頂上3067mを表す道標です。
この2022年に新しく建った道標は、以前紹介した強力くんが担ぎ上げました!逞しい。。。
頂上奥社の社務所もあります。御朱印やお守りもあります。
ここで、御嶽講社による御座や、開山祭(閉山祭)などの儀式も行われています。社務所は例年開山祭の7/10から閉山祭の9/3まで稼働しています。時期には注意してください。
クエスチョンです!
さて、ではクエスションです!
2024年現在の御嶽山の主祭神は誰だったでしょうか??
座王権現?大己貴命?
正解は【御嶽大神】です!
【御嶽大神】は国常立尊・ 大己貴命・少彦名尊の三位一体で、御嶽山の主祭神と崇められています。(詳しくはこちら)
じゃあ、お参りして一番目に付くあの青銅の像は【御嶽大神】像?と思いますよね。
おそらく、主祭神を【御嶽大神】だときちんと理解してお参りした人でも、そう思うはずです。
ここで、わざわざシェルターの横をすり抜けて足元まで見に行った人は気づきますが、実はこの像は【白川大神】像なんです。【白川大神】は簡単に言いますと、【継子岳】の由来になった阿古多丸の父親で、【覚明行者】に御嶽山開山の託宣をした人物です。(詳しくはこちら)
この【白川大神】は私にとって曰く付きなのでぜひ、異議あり!白川大神は後付け?という記事も読んでみてください。
一応、以前、黒沢口の御嶽神社に電話で尋ねたところ、この【白川大神】像は奉納されたものらしいので、御嶽神社とは関係ないらしいのです。
「ウチ(御嶽神社)が【白川大神】を祀っているわけではありません」と話されました。
(【蔵王と座王】見た目が違う?より)
私自身の仮説「白川大神後付け説」を軸に考えると、つまりこの青銅像は【御嶽山座王大権現】と【白川大神】の習合像であると解釈します。
ちなみに青銅像の横の坐像は、【高針心願講】が寄進した【胎蔵界大日如来】像です。詳しくはご覧あれ!大日如来像!をどうぞ。
他にも本殿の後ろや青銅像の後方にもいくつか石像があります。きっとそれぞれ意味や名前があるはずです。
天保五年(1834)に太元講社が御嶽座王権現の銅像を建立されてから、頂上の岩座には幾多の神仏像、石碑が奉祀されるようになった。現存する御嶽山座王大権現の石像は安政三年(1856)に再建されたものである。
「朱印帳 御嶽山三十八史跡巡り」(木曽御嶽神社)
この肝心な【御嶽山座王大権現】像というのが、奥社にいた宮司さんに聞いてもわからないとのことでした。ますます怪しいです。やはりあの青銅像を指してるんじゃないかと思ってます。
もう私の中では【御嶽山座王大権現】=【御嶽大神】⊃【白川大神】がほぼ確定です。
日本のすごいところ!
出来事 | 名前の変化と習合 |
宝亀5年の記録 | 大己貴命と少彦名命 |
大和から勧請 | 王御嶽座生権現 |
三十八座として | 王権現 |
普寛行者開闢 | 座王権現を普及 |
神仏分離令を経て | 御嶽大神 |
こうして普通に読んだら、神さまの名前がコロコロ変わったり戻ったりで訳がわかりませんよね。
これまでも何度かお話ししていますが、日本には、習合(合体)や勧請(分霊)という文化があります。そして昔から「八百万の神」という言い方をするように多くの神さまを信じてきました。そして、神さまも仏さまも大切にしてきました。
どちらか一つ!とか、白か黒か?!とはならず、全部私たちを守ってくださる尊い存在なんだと素直に崇めてきた日本人は、本当にすごいなあと思います。
よく言われますが、クリスマスを祝おうが、お寺に行こうが神社へ行こうが、それが日本の文化なんですね。そんな、文化や時代と共に、神さまの名前も変化して馴染んできたわけです。
散々異議あり!白川大神は後付け?で【白川大神】に曰くを付けた私ですが、私は以前この【白川大神】から【御座】でご加持を受けています。(詳しくはこちら)どう変化したにせよ、ありがたい存在であることに変わりないのです。
名前や形は変えても確かに残っている、
そんな御嶽山の信仰を守りながら、そして辿りながら、
また来年へ繋いでいきたいと思います。
今年2024年もありがとうございました。
来年2025年も、『角笛山空間』をよろしくお願いします。
参考文献:
「御嶽の歴史」(生駒勘七)
「朱印帳 御嶽山三十八史跡巡り」(木曽御嶽神社)
写真提供:長野県製薬株式会社 角間 洋平 氏
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