御嶽山三十八史跡巡りを紹介しようと思ってカテゴリーを作りましたが、いつの間にか黒沢口が中心になってしまいました。黒沢口の山中は、残すところあと2つ、【三十六童子】と【頂上奥社】です。
このブログを立ち上げてちょうど1年で、あと2つ投稿すれば100記事達成となります。何とか年内に頑張ります!予告させていただきました。
今後は王滝頂上から下りつつ、王滝口の方を紹介していきたいと思います。おそらく来年初めからになるかと思います。今後もよろしくお願いします。
三十六童子の行き方は?!
では、「黒沢口第二十一番 三十六童子」へ行きましょう!
と言いたいところですが、、、
、、、、、実は行けないんです!
【三十六童子】は、一ノ池の火口壁にあります。ここは2014年の噴火以来、立ち入り禁止となっています。かつてはお鉢巡りと言って、火口壁を歩くことができたんですね。お鉢へは、剣ヶ峰からも行けますが、ニノ池の山小屋近くから上がれる登山道もあります。
今は封鎖されていますが、おそらく順番的には「第二十番 賽之河原」を通ったあと、ニノ池横の登山道から一ノ池火口壁であるお鉢へ上がり、【三十六童子】を通って【頂上奥社】へ行く道を史跡巡りとしていたんだと思います。
朱印帳の記載文紹介
一の池は頂上周辺火口湖の中で最も高所(二九八〇メートル)にあるが、今は北東部の壁が欠けて二の池へ流れ、水が溜まってない。
五行思想に基づく白色白帝龍王大権現が祀られている。
一ノ池の水が昔から涸れていることは、以前紹介した「吉蘇志略」(1753)にも書かれていましたね。(詳しくは江戸時代の御嶽ガイドブック!?「吉蘇志略」)
白色白帝龍王大権現についても、
五つの池に棲む龍とは?!
お池と五行思想の関係を分析!をご覧ください。
重要なのはここからです。
普寛行者の系譜を引く尾張熱田の宮丸講儀覚行者(1769-1841)が江戸の講社の助力を受けて、一の池火口壁に成田山の三十六童子を勧請した。三十六童子をお参りするお鉢めぐりは今なお多くの人たちの信仰を得ている。
「朱印帳 御嶽山三十八史跡巡り」(木曽御嶽神社)より
池底に砂礫や小石が亀甲型に配列する神秘的な自然現象がみられる。
三十六童子を祀ったのは【儀覚行者】とありますね。【儀覚行者】は【覚明行者】と【普寛行者】を繋ぐ重要な人物です。
以前覚明さんと普寛さんを照合!で紹介しました。
【覚明行者】と同じ尾張の地に生まれた【儀覚行者】は、
御嶽山へ登拝した際【普寛行者】の直接の弟子であった【明岳院広山】に弟子入りし、尾張で宮丸講を開きます。これが覚明講の一端となり、のちに多くの講社や行者を生み出しました。
三十六童子とは?
【三十六童子】とは、不動明王の手足となってお仕えする36人の童子のことです。
不動明王の眷属で有名な、八大童子とはまた別格のようですが、一部重複も見られます。有名なのが【制吒迦童子】【矜羯羅童子】で、御嶽山の信仰対象を描いた神霊軸にも描かれていましたね。
では三十六童子を一挙ご紹介!
1. 矜迦羅童子
2. 制叱迦童子
3. 不動恵童子
4. 光網勝童子
5. 無垢光童子
6. 計子爾童子
7. 智慧幢童子
8. 質多羅童子
9. 召請光童子
10.不思議童子
11.羅多羅童子
12.波羅波羅童子
13.伊醯羅童子
14.獅子光童子
15.獅子慧童子
16.阿婆羅底童子
17.持堅婆童子
18.利車毘童子
19.法挾護童子
20.因陀羅童子
21.大光明童子
22.小光明童子
23.仏守護童子
24.法守護童子
25.僧守護童子
26.金剛護童子
27.虚空護童子
28.虚空蔵童子
29.宝蔵護童子
30.吉祥妙童子
31.戒光慧童子
32.妙空蔵童子
33.普香王童子
34.善你師童子
35.波利迦童子
36.烏婆計童子
貴重な写真を公開!
「黒沢口第二十一番 三十六童子」へは行けませんが、書籍の写真と師匠から提供してもらった写真を最後に載せたいと思います。36の石碑が一基ずつ立ち並んでいるそうです。
これだけの大きさの石柱や三十六もの石碑を運んだと思うと、人の力は本当に計り知ることができません。いつか【三十六童子】へ行ける日がくるでしょうか?火山や噴火の影響を考えると、生きてるうちは難しいかもしれませんね。
噴火以前に訪ねた写真やお話を今後、師匠や大鐘先達、強力の倉本さんやニノ池山荘の小寺さんにもっと聞いてみたいと思います。
写真提供:澤田義幸氏
参考文献:
「木曽御嶽山案内記 神鳥の声」和邇御嶽山
「朱印帳 御嶽山三十八史跡巡り」(木曽御嶽神社)
「御嶽の信仰と登山の歴史」(生駒勘七)
「現代山岳信仰曼荼羅」藤田庄市
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