石室vs女人堂!どっちが先?

御嶽山の紹介

「最も古い」「一番最初」の小屋は、石室いしむろ女人堂にょにんどう、どっちか??

前回私は、
【石室の小屋】御嶽山で最も古くから存在する小屋であると言いました。

「じゃあ、女人堂のホームページは間違っているの?」と思いますよね?

女人堂は、御嶽の山小屋の中で最も歴史が古く、明治初年から 山小屋として営業しています。

女人堂ホームページhttps://ontake-nyonindo.jimdofree.com/女人堂紹介より

いえいえそんなことは決してありません!
実は、この表現には非常に巧みな言い回しが隠されていました。

先に結論!

今回は先に結論です!

  1. 位置的な古さ:石室
    石室は、8合目に建つ女人堂よりも前から9合目に建っていた
  2. 歴史的な古さ:女人堂
    女人堂という名のお堂は、石室より前から存在した
女人堂石室
位置的×
歴史的×

位置的もしくは歴史的に存在していたか

人々が求める「最も古い」「一番最初」というのは、例えてみると「元祖がんそ〇〇ラーメン!」や「〇〇発祥はっしょうの店!」というものかなと私は思います。

しかしこの「元祖がんそ」や「発祥はっしょう」は曖昧あいまいで、複数存在することが多く見られると思いませんか?
個々のこだわりも混ざっているため、定義付けや証明が難しいジャンルです。石室と女人堂も同じで、白黒つけるには非常に困難でした。

今回、私が考えた「最も古い」「一番最初」は、

位置的もしくは歴史的に存在していたか”ということにしぼりました。すると石室と女人堂はどっちも「最も古い」「一番最初」に当てはまりました。

名称の変更や、移転、改築などは含んでいません。
(名称は〇〇小屋→〇〇山荘へ変化したり、場所が少し変わったり、建て直しもあるため)

あとは、下記のキーワードから「最も古い」「一番最初」とはどっちを指すかを選んでみてください。人によってこの感覚は違うと思います。

石室】キーワード
「山中に建つ小屋」「山頂に近い小屋」
〔位置的・物理的・土地・ナワバリ・所在地〕が古い
女人堂】キーワード
「歴史ある小屋」
〔歴史的・精神的・ネームバリュー・年齢〕が古い

選んだら、「石室派」「女人堂派」でそれぞれ読んでみてください!

石室派はこちら「位置的(ナワバリ)」

これで最初に戻りますが、
位置的には、石室の方が古いという答えになりました。
所在期間が石室の方が長いです。

ここで言う「古い」は
あくまでも土地としての位置的な古さなので、ナワバリという言葉を使ってみました。

石室は1847年以前から、9合目に建ち続けています。
御嶽山の山中でナワバリをずっと維持している古参、古株みたいな存在だとイメージしてみてください。住所が変わっていない、という表現もいいでしょう。

前回記事でも紹介しましたが、“1847年以前”という数字が決定的でした!

西暦和暦6合目7合目8合目9合目石室
1792
軽精進許可
寛政4年×××
1847
遭難記録
弘化4年××
1868明治元年
小屋の推移の考察
・1792年以前は、6合目より上に休泊小屋ない
・石室は1847年以前から管理人が定住する休泊小屋としての施設を整えていた
・石室の小屋ができたのは、1792-1847年の間(約50年)である
・この頃、女人堂の位置は現在の8合目ではない

女人堂派はこちら「歴史的(年齢)」

次に、歴史的な目線ではどうでしょう?
歴史的には、女人堂の方が古いです。

女人堂は1792年以前からすでに6合目にあったと思われます。
わかりやすく「年齢」として例えてみると、
石室がおよそ230歳、女人堂はおよそ270歳なので、
女人堂の方が年上です。

西暦和暦事項女人結界の位置
1792-寛政4年軽精進登拝許可6合目
1854-安政元年幕末(ペリー来航)7合目
1868-明治元年明治維新8合目
1877明治7年『王滝村誌』記録継続中
1879-明治11年遊女の登拝記録撤廃!
・女性行者たちのおこもり堂として、長い間存在し続けたのは女人堂
・6合目から徐々に位置を上昇し、明治には現在の8合目に建つ

ネームバリューも相まって女人堂の方が大先輩です。

石室の位置が初期から変わっていない(ナワバリ維持)と表現するなら、
女人堂は引っ越しを続けた(ナワバリ移動)と表現できます。
詳しくはこちらを参照ください。

女人堂は、御嶽の山小屋の中で最も歴史が古く、明治初年から山小屋として営業しています。

女人堂ホームページhttps://ontake-nyonindo.jimdofree.com/女人堂紹介より

よって、上記の表現は正しいと言えます!

女人堂石室
歴史的に古い
総合年数が長い
最初の営業小屋
山中に建つ小屋として古い
位置が変わっていない
記録が古い

ところで行場山荘は?

ちなみに、7合目の行場山荘ぎょうばさんそうは今回除外しました。
行場山荘は、明治時代は「一ノ又小屋」として地図に載っており、大正14年の地図には、「行場コヤ」の名が確認できています。もう少し詳しく分かったら追記したいと思います。

西暦和暦6合目7合目8合目9合目
1792-寛政4年×××
1847弘化4年××石コヤ
1854-安政元年女人コヤ?×
1860万延元年◯?女人コヤ?石室コヤ
1868明治元年
1883明治16年中コヤ一ノ又コヤ女人コヤ石室コヤ
1925大正14年中コヤ行場コヤ女人コヤ石室コヤ
2024現在令和6年×行場山荘女人堂石室山荘
小屋の名称と考察

6合目の小屋が1番古いといえばそうなんですが、現在はもう小屋は建っていません。そして6合目というと車で行ける位置にあり、登山口でもあります。私たちが一般的に求める山小屋というのは、おそらく登山道中にある小屋なので、6合目の記録は除外して考えました。

御嶽山の黒沢ルートには
七合目 行場山荘
http://www.ontake-7-gyouba.com/index.html

八合目 女人堂
https://ontake-nyonindo.jimdofree.com

九合目 石室山荘
http://www.ontake-ishimuro.com/index.html

といった具合に小屋があります。
ここまでまとまったので、そろそろ小屋のご主人にそれぞれ直接話を聞いてみようと思います!
乞うご期待!

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