前回御嶽【神霊軸】の続きです!
訳ありと言った【御嶽神霊軸】の中央部上段を見ていきましょう!
中央部上段に注目!
それでは中央部上段(上から二段目)に注目です。
御嶽神社の説明、そして書籍「木曽のおんたけさん」によると
【三笠山大神(豊斟渟尊)刀利天宮】/【白川大神】/【八海山大神】(国狭槌尊)堤頭羅神王】
と紹介されてました。
【白川大神】については
継母岳と継子岳の由来〜阿古多丸伝説〜
黒沢口第十一番 白川大神をご覧ください。
異議あり!?
つまり上記のようになります。ここで私は手を挙げたいと思います!
「異議あり!!」
両脇の【三笠山大神】【八海山大神】には異論なし!
しかし、中心が【白川大神】??そんなわけないです!
だってこの姿、どう見ても【御嶽山座王大権現】ですよね?!
それに【白川大神】の脇侍が【三笠山大神】【八海山大神】というのも違和感ありすぎます。
蔵王と座王の違いについて今まで分析してきました。
二つの【御影図】ここに描かれているのは、【御嶽山座王大権現】なんです。
そして脇侍には【三笠山刀利天宮】と【八海山堤頭羅神王】で、【御嶽神霊軸】と変わっていません。
並べると、三つがまるで同じということが伝わるでしょうか?
以前も述べましたが、
“【御嶽山座王大権現】と【白川大神】は衣冠の貴人姿で描くためしばしば混同されてきた”
といいます。この【御嶽神霊軸】こそが混乱の原因だと私は推測します。
導き出した仮説とは!
私が導いた仮説、それは【神仏分離令】を機に、
【御嶽山座王大権現】を【白川大神】へそのまま置き換えた!!
姿はそのままに、別の神格を置いたんじゃないでしょうか?!
つまり、【座王】と【白川大神】がひとつのアバター(衣冠の貴人姿)を共有しているんですね。
そりゃあ、混同されるわけです!!
仮説の説明します!
本当は先に【神仏分離令】について語らねばならないんですが、こちらは次回持ち越しにします。
今回は状況から説明しますね。
1800年代の江戸時代、この【御影図】の中心は当然ながら【御嶽山座王大権現】(以下:座王)でした。当時の御嶽山における本尊だったわけです。
それが明治の【神仏分離令】において、【座王】は【御嶽大神】という三人の神さまに生まれ変わり(置き換え)ます。
新たに【御嶽大神】や、イザナギ、イザナミの神さまを配置したわけです。そして、【座王】さまが描かれた【御影図】の部分、訳ありの中央部上段はそのまま残したというわけです。
そのまま残した?!
そしてまず、脇侍の三笠山と八海山の名前を神さまに変えました。
問題は、この中心の「衣冠の貴人」です。
もう「【座王】さま」と呼ぶわけにもいかず、ひとつ空席ができてしまったという状態といえば分かるでしょうか?かと言って消してしまうのも偲びない、、、という感情のような気がします。
【座王】さまの【御影図】を残すために、木曽の人々が取ったまさかの対策が、そう、
【御嶽山座王大権現】を【白川大神】に置き換えよう!
だったんじゃないでしょうか!
神仏分離令において
「この衣冠の貴人は【白川大神】という神さまです!」
と明治政府に言い切ったんだと思います。
白川大神の後付け?その心は、、、
以下は想像のコメントです。
これまで、【御嶽神霊軸】において【白川大神】がものすごい上位にいるのが違和感ありました。【白川大神】は、【覚明行者】に御嶽開山の託宣を下した存在、というのはわかりますが、【御嶽縁起】(阿古多丸伝説〜、黒沢口第十一番 白川大神)から見ても、【白川大神】はそこまで崇める存在には感じませんでした。
この違和感が仮説において、やっと解けた気がします。【神仏分離令】において、【座王】の姿を【白川大神】に置き換えるという大胆な発想!!よくそんなこと思いついたと思います。
これによって当時も混乱が起きたかもしれませんが、おかげで【御嶽山座王大権現】の御影図は残されたわけです!【神仏分離令】においては、寺院の焼き討ちや仏像破壊もありえた中、名前や中身を置き換えることで一生懸命守ってきたんだと私は思います。
まとめ
今回は、【神仏分離令】という修験道にとっての悪法を逃れるために、木曽の人々が出した知恵に感服です。名前だけでなく、姿を変える、中身を変えてでも「信仰を残したい」という人々の心の現れじゃないでしょうか?
「衣冠の貴人」を「座王か白川大神か?」と白黒つける必要はもうないですね。もしかしたら、剣ヶ峰の頂上奥社の銅像も、【白川大神】であり【座王】なのかもしれません。
後付けかもしれないとはいえ、今では【白川大神】さまも立派に神さまを努めてくださってるはずです。人々の知恵によって変化されてきた、むしろ敢えて混同することで悪法を免れてきた、と言ってもいいかもしれません。
この「【座王】と【白川大神】置き換え説」「【白川大神】後付け説」については、あくまで私個人の仮説です。どこにも載っていません。さすがに神社にも聞けない内容です。もし、確証できる文献や、間違いがあればぜひ知りたいですし、今後も訂正・加筆していきたいと思います。ご意見あればコメントお願いいたします。
「木曽のおんたけさん」(執筆編集代表 菅原壽清)
「御嶽山王滝口 信仰資料拝見記」王滝口 御嶽神社/御嶽教滋賀大教会
コメントあればお願いします 質問も受け付けます
私は神戸の六甲山にある石の宝殿というところで修行している山伏です。ここには加賀白山のくくりひめさまがお祀りされていますが、その傍らに
白川大神がお祀りされています。昭和の初め頃ここの祭祀をしておられた方が御嶽教関係の方だったらしいのです。近々登拝に行こうと思いますが、こちらの記事がとても参考になっています。ありがとうございます。