牛王宝印とは何ぞや??

御嶽山の紹介

こちらの写真は右から「牛王御嶽山宝印」と書いてあります。「おんたけさん ごおう ほういん」読みます。字体が象形文字っぽくて「印」という漢字が横向いてるのが特徴的ですね。これは【木曽の御嶽山】に伝わる牛王宝印ごおうほういんと言います。

そしてこの牛王宝印ごおうほういん】とは何ぞや?というのが今回のお題というわけですね。

牛王宝印ごおうほういん】とは、古く中世から日本各地の寺社において発行していた護符のことを言います。写真はTシャツに印刷されたものですが、元は版木であり、お札として紙に刷られてたんでしょう。

一般的に【牛王宝印ごおうほういん】といえば、熊野のシンボル「八咫烏やたがらす」をモチーフにした烏宝印からすほういんが有名なようです。神仏のご加護が受けられるよう、家屋の大事な所に貼ったり、病床に敷いたりしたそうです。「牛王」は「牛玉」とも書くそうですが、語源自体は定かではなく、一説には生薬の「牛黄」から来ているとも言われています。

そんな牛王宝印ごおうほういん】は御嶽山でも護符や祈祷札として刷られていたようです。

埼玉県本庄市の【普寛堂】にて「御嶽山牛王宝印」と彫られた版木が発見されました。そして同じく木曽郡王滝村の御嶽神社でも「座王権現牛王宝印」という同じ字体の版木が発見されて、木曽では話題になりました。

座王権現ざおうごんげん】とは、現在御嶽山の主祭神として祀られている【御嶽大神おんたけおおかみ】の前身です。明治の神仏分離令によって【座王権現ざおうごんげん】は消えて【御嶽大神おんたけおおかみ】となりました。(【座王権現ざおうごんげん】に関してはまた別の機会にふれます)

つまり明治以前は「座王権現牛王宝印」(写真:右)、以後は「御嶽山牛王宝印」(写真:左)が使用されていたということです。

埼玉県本庄市の【普寛堂】は、【木曽の御嶽山】開闢かいびゃくの祖【普寛行者】の入寂にゅうじゃくの地であり、関東周辺の御嶽信者にとっての霊場になっています。この【普寛堂】で「御嶽山牛王宝印」が所蔵されていた経緯は定かではありませんが、おそらく御嶽山で使われていた【牛王宝印ごおうほういん】を、普寛行者の弟子たちである金剛院寿光や本明院盛心らが持ち帰ったからではないかと、推測されています。

この【牛王宝印ごおうほういん】が印刷されたTシャツは、御嶽山の山小屋「二の池ヒュッテ」で販売されています。「二の池ヒュッテ」には、王滝で発見された【牛王宝印ごおうほういん】の解明に関係した男性が関わっており、高針心願講の先達さんが提案されて、販売に至ったそうです。「【牛王宝印ごおうほういん】を復活させたい」「お山の繁栄に繋げたい」というお気持ちを聞かせていただきました。両名とも、御嶽山を心から想う素晴らしい方々です。いつもお話を聞くだけでありがたい気持ちになります。

Tシャツは、以前は白生地に黒文字でしたが、今年は黒生地に白文字になりました。山丸三も印刷されていてカッコいいデザインだと思います。【牛王宝印ごおうほういん】の意味を知らなくても御嶽山らしさを感じられる仕上がりだとは思いますが、元は護符であったと分かると有り難みと歴史を感じることができますね。

以上参考文献は、
「普寛堂宝物拝見記」(御嶽山開闢普寛堂 御嶽教滋賀大教会)
「御嶽山王滝口 信仰資料拝見記」(木曽御嶽山王滝口御嶽神社 御嶽教滋賀大教会)

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