群馬県の名峰、百名山の【上州武尊山】へ行ってきました。
この山は、御嶽山開闢の祖【普寛行者】が同じく開山した山なので、言わば御嶽山とは兄弟山と言えます。(勝手に言ってます)
【武尊山】と【木曽の御嶽山】関係は武尊山は御嶽山から消えた!?をご覧ください。
今回は【普寛行者】が開いたとされる表ルートを歩きました。
【上州武尊山】は2158mの古い火山の独立峰です。左(西)から剣ヶ峰(西)、沖武尊、中の岳、家の串岳、剣ヶ峰(東)、前武尊、と2000mを超える峰をいくつも持つ山です。少し御嶽山と似てると思っています。
山の南側の登山口である川場野営場から、不動岳を通って前武尊のピークまで目指します。不動岳へは鎖を使って登る、そこそこ険しい道です。途中、岩窟やお札、石碑や祠など、山岳信仰が伺える箇所がいくつもあります。
前武尊のピークには、ヤマトタケルノミコトの像が建っています。ヤマトタケルノミコトは【日本武尊】と書き、【武尊山】はこのヤマトタケルノミコトの字から付けられた名前であるとわかります。
この日は偶然にも、御嶽教の方々が護摩焚きをされておりました。行者さんの鉢巻の「星に入り山に三」の紋様を見た瞬間「御嶽講だ!」とすぐに分かったのですが、【一心講】という訳ではないようです。(与野 御嶽社で見た【一心講紋】とは⁈)
【御嶽教八海山忍心教会】と名乗っておられました。「忍」の字は、正しくは「りっしんべん」に「刃」と書くようです。
御嶽の焼印が入った金剛杖、「星に入り山に三」の紋様が入ったリュック、それと御嶽山で画家として活動されてる山下勝彦さんのデザインされた法被を着用されていました。
勤行の途中でしたが、快くお話しさせていただき、私にも護摩木を焚かせてくださいました。
ご縁に感謝いたします。
その先の沖武尊(最高峰)手前の、中の岳にもヤマトタケル像と一緒に【御嶽神社】のお札があり、山頂には【御嶽山大神】と彫られた石碑も確認できました。真新しい普寛霊神のお札も添えられています。
帰り道は前武尊から天狗尾根コースを下ります。この道も祠や石仏がありました。紙垂が新しく、今でも信仰が続いているかと思うと嬉しいですね。
そして【木喰普寛】と彫られた像も発見しました。三鈷杵の持ち方が弘法大師と似ており、日光白根山の方を向いて建っていました。
上記の神社は、北側の登山口にある武尊神社です。「ほたか」という言い方は、元は「保宝鷹」「宝高」であり、【日本武尊】の字を取って現在の【武尊神社】【武尊山】に変化したんでしょうね。
【普寛行者】の足跡を辿る【上州武尊山】の山旅でした。