摩利支天って何の神さま??

御嶽山の紹介

御嶽山には、いくつかピークがあります。以前に、継子岳と継母岳について書きましたが、今回は外輪山として存在感のある摩利支天山まりしてんやまに祀られている【摩利支天まりしてん】についてふれてみようと思います。

左のピークが摩利支天山2959mで、右のピークが摩利支天乗越と展望台です

摩利支天の見た目

摩利支天まりしてん】とは神さまの名前です。後述しますが仏さまでもあります。
すでにこのブログで幾度となく登場しているので重複しますが、まず見た目どんな姿をしているのか紹介しましょう。

御嶽山の【摩利支天まりしてん】を一大列挙大サービスです!

この石像は、摩利支天まりしてん乗越のっこしという場所の岩の上にあります。

一度通っただけでは見逃してしまうところに建っています。

こちらはうまく写っていませんが、王滝登山道に祀られている【摩利支天まりしてん尊】です。お堂の中なのでうまく写せませんでしたが、イノシシに乗っていて、

このような顔をしています。恐ろしや、、、、、。

左が、御嶽山の神さまが描かれた神霊軸で紹介した【摩利支天まりしてん】です。
右が、山丸三でも紹介した、大又三社に彫られている【摩利支天まりしてん】です。

最後に、ニノ池山荘で売られている手ぬぐいに描かれている【摩利支天まりしてん】です。イラストなのでこれが一番分かりやすいでしょうか?このイラストは、支配人である小寺祐介氏がデザインしています。(オススメですよ!)

以上、これらの【摩利支天まりしてん】の姿に全てに共通して言えること

  • いのししに乗っている
  • 三面九目六臂さんめんきゅうもくろっぴ(顔が三つ、目が九つ、腕が六本)
  • 武器を携えている

何の神さま??

そして【摩利支天まりしてん】は、山丸三やままるさんの下線にも表されています。重要な位置付けであるということが分かりますね。

以下は、山丸三の回でも紹介しましたが、
摩利支天まりしてん】は御嶽行者が行う御座行法おざぎょうほうの守り神とされており、古来より修験道や密教の行者によって信仰されてきました。
また、勇猛果敢に猪に乗り、武器を携えている姿は武将たちからも好んで信仰されてきたようです。

御嶽山には摩利支天山まりしてんやまがありますが、【摩利支天まりしてん】と付く山は他にもいくつか存在します。南木曽岳なぎそだけ乗鞍岳のりくら、越後の八海山はっかいさん、あと未確認ですが甲斐駒ヶ岳かいこまがたけにもあるようです。いずれも山岳信仰と関係している山にあたります。

御嶽山の摩利支天山まりしてんやまには、昔は御嶽山座王権現三十八座のひとつ、士祖権現しそごんげん日本武尊やまとたけるのみこと)も祀られていました。

摩利支天は天部

仏さまの世界は、

  1. 如来にょらい 例:阿弥陀如来あみだにょらい
  2. 菩薩ぼさつ 例:観音菩薩かんのんぼさつ
  3. 明王みょうおう 例:不動明王ふどうみょうおう
  4. 天部てんぶ 例:弁財天べんざいてん

以上、4つの階級のような段階でできています。名前の通り【摩利支天まりしてん】は、「天部てんぶ」にあたります。
が、いわゆる「〇〇天」の中でも【摩利支天まりしてん】はそんなにメジャーではありませんね。有名どころに七福神である「弁財天べんざいてん」「毘沙門天びしゃもんてん」「大黒天だいこくてん」がおりますし、ほかにも「帝釈天たいしゃくてん」や「吉祥天きっしょうてん」の名前の方が聞いたことある、という人が多いと思います。

そのため、摩利支天山は知っていても、【摩利支天まりしてん】が何者なのか知らない人が多くいると思ったので、今回紹介しました。

隠れた摩利支天像?

そもそも私も、2年前までは【摩利支天まりしてん】が何かわからない一人でした。小屋で働きながら、いつも摩利支天山を眺めていたものです。

ここではお見せすることができませんが、私が働いていた小屋には【摩利支天まりしてん】の木像もくぞうがありました。今は、客室として使われていない二階の奥の部屋にひっそりと祀られています。

摩利支天まりしてん】の姿を初めて見た私はとても感激しました。埃まみれでところどころ割れていたので、丁寧に拭き上げ、直せるところは直しました。そして時々扉を開いては拝んでいました。その木像は顔は一つでしたが、腕は六本あり、勇ましく武器を持って猪に乗っていました。

あるとき師匠
「この摩利支天像は、もっと目につくところに置かなくていいんですか?一階におろしますか?」
と尋ねたところ、

「ああ、それな、昔この部屋は、この小屋の中で一番格の高い部屋だったんだ。その頃からずっとここにあるからこのままでいいんじゃないかな。それにここの方が、摩利支天山がよく見える。」

と言われ、いろいろ納得したものです。そう言われてみれば確かに小屋の一番上座にあたる場所でしたし、師匠の目には、何十年も前の小屋の光景が写っているのだなと感じました。それを想像するとワクワクしました。

でも今は、誰の目に触れることもなく、拝まれることはありません。いつかまた、あの摩利支天像が人目に触れる機会があればいいなと思います。

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