前回、【三笠山】と【八海山】について触れました。
前回の記事八海山と三笠山って、御嶽山とどういう関係?
この二つの山は、対となって御嶽山の両側に祀られており、現在でもよく目にします。
ところが、調べるうちに別の表記を見つけました。
ここで【御嶽山】の両側に祀られているのは、【武尊山】と【意波羅山】という山です。「神社」ではなく「大権現」という呼び方は明治の神仏分離令(1868年)以前のものです。しかも、「木喰 普寛」と書かれており、どうやら【普寛行者】の筆跡のようです。【普寛行者】(1731-1801)が自ら書き記したとなると、この二つの山もかなり重要な位置付けと伺えます。
元々、【武尊山】は百名山として知られており、この山は【普寛行者】が開山した山であると深田久弥著の『日本百名山』にも載っています。私も登ったことがあり、山頂には【御嶽山】が祀られています。がしかし【意波羅山】とは聞いたこともないため、全く見当がつかず、大変興味が湧きました。
調べるにあたって、『木曽のおんたけさん』という本を読みました。かなり重要なことがたくさん載っているので今後も紹介していきますが、今回の重要なキーワード【意波羅山】についても書かれていました。
【意波羅山】は、埼玉県秩父市大滝というところにあります。【木曽の御嶽山】の王滝登山口を開山した【普寛行者】の故郷です。秩父の「大滝」と、木曽の「王滝」、、何か縁を感じてしまいますね。この大滝には、「秩父御岳山」(1081m)という山があり、山頂には普寛行者が祀られているようです。この山が【意波羅山】なのかもしれません。登ってこの目で確かめないといけませんね。
この【意波羅山】、登山界ではまず出てこない名前ですし、下記のように漢字表記も統一されていません。
- 意波羅山
- 意和羅山
- 意婆羅山
- 伊和羅山
ここでは、【意波羅山】の表記で統一します。植物名の漢字は当て字であったりすることが多いため、カタカナ表記が一般とされています。この【意波羅山】も、漢字を当てて呼びつつ、統一されることがなかったため、表記がバラバラになったんだと思います。「いばら」という読みから、バラなど棘のある植物から取った呼び方かもしれませんね。
【木曽の御嶽山】を語る上で重要な脇を固める山たちをまとめると、
- 1790年 三笠山(群馬県上野村)開山
- 1792年2月 意波羅山(埼玉県大滝村)開山
- 1792年6月 御嶽山(長野県木曽郡王滝村)王滝口開山
- 1794年 八海山(新潟県南魚沼市)開山
- 1795年 武尊山(群馬県片品村)開山
以上、全て【普寛行者】が開山した山々です。普寛行者は、御嶽山を開山しただけでなく、他の山の神さまを御嶽山へ勧請したのが伺えます。それで普寛行者は、開闢の祖と言われています。
現在、御嶽山の両脇には【三笠山】と【八海山】が対で並んでいますが、普寛行者が生存の頃は【武尊山】と【意波羅山】が両脇に祀られていたということがわかりました。