御嶽山には女人堂という小屋があります。その昔、御嶽山は女人禁制であり、女性は女人堂がある八合目までしか登拝を許されませんでした。
というのはそこそこ知られていますが、
今回は、その【女人結界】はいつ解かれたか?という疑問を探ってみましょう。
え?6合目まで!?
さて、【女人結界】の位置をおさらいしましょう。
「百日間の重潔斎」で登拝していた時代(〜1785年)
女性は「イタ」(井田、伊多)と呼ばれ、イタ道者は百日間ではなく、75日間の精進潔斎を課されていました。しかし、それだけ長い精進潔斎をしても、6合目までしか上がることを許されなかったんです。
【女人結界】は、現在の黒沢口六合目付近の温泉地に祀られていた【湯権現】という場所だったようで、そこに女人堂もあったと思われます。(御嶽山三十八座のひとつ)
「ミヨ」という名の宿坊もあり、男性行者はそこに一泊して明朝登拝していましたが、女性は泊まることなく日帰りと定められていました。
開山後も変わらず……
その後、覚明行者のはたらきで1792年に軽精進による登拝が許可されます。その結果、潔斎期間も27日間と短くなりました。
しかし!新しく定められた登山通達には、「女人は御湯までとする」という記述がありました。「御湯」とは【湯権現】を指しています。残念ながら女人禁制は緩むことなく、重潔斎の時から変わらなかったようです。
つまり、
覚明行者の御嶽山開放は、女性には全く関係なかった!ということです…..(残念)。
女人結界の上昇?
ところがこの後、
【女人結界】の位置は、少しずつ上昇していったらしいのです!
え?どういうこと?
古来より女人の登山には制限があり、寛政度においては湯権現までとされ、幕末にはこれが七合目に上昇しているが(中略)、
「御嶽の信仰と登山の歴史」(生駒勘七)
明治になっていつとはなしにこの女人登山制限の上限は撤廃され、頂上登拝が自由となり、
(中略)女人登拝の風を盛んにするに至ったものである。
上記のように「幕末には7合目へ上昇」とありました。
おそらく、だんだん規制が緩くなっていったか、少しずつ進んで行ってしまったんではないでしょうか?だって6合目も7合目も樹林帯で御嶽山はほぼ見えませんからね。せめて山の姿が見たいと思う心情が想像できます。
おおよその時代分けで、【女人結界】は下記のようになります。
西暦 | 和暦 | 事項 | 女人結界の位置 |
1792- | 寛政4年 | 軽精進登拝許可 | 6合目 |
1854- | 安政元年 | 幕末(ペリー来航) | 7合目 |
1868- | 明治元年 | 明治維新 | 8合目 |
結界が解かれた時期の考察
また、次のような記述もありました。
『王滝村誌』(明治九年)の記事によって女人禁制がまだ解かれていないことがうかがわれるが、頂上までの女人禁制が許されるようになったのは何年ごろのことかはっきりした記録が残されていない。しかしこの後間もなく女人登拝が自由になったであろうことは当時世人の注目を浴びた吉原の傾城三十余名が登山した記録からも明かなことである。
「御嶽の信仰と登山の歴史」(生駒勘七)
“吉原の傾城”とは、江戸遊郭の女たちを表す言葉です。明治11年に、頂上まで登拝した記録が残されているようです。
つまり、女人禁制が解かれたのは、
明治9年-11年の間(1876〜1878年)であることが分かりました。
この約2年の間に【女人結界】は撤廃されたわけです。
西暦 | 和暦 | 事項 | 女人結界の位置 |
1792- | 寛政4年 | 軽精進登拝許可 | 6合目 |
1854- | 安政元年 | 幕末(ペリー来航) | 7合目 |
1868- | 明治元年 | 明治維新 | 8合目 |
1877 | 明治7年 | 『王滝村誌』記録 | 継続中 |
1879- | 明治11年 | 遊女の登拝記録 | 撤廃! |
自然消滅バンザイ?!
実は、明治5年に明治政府より国策として、女人禁制の解除が布告されています。そのため高野山や吉野には解除の動きがあったようですが、御嶽山ではどうだったかわからないようですね。
先ほど紹介した文献で、「いつとはなしに女人結界は撤廃された」「はっきりした記録が残されていない」とありますように、【女人結界】は「いつの間にか」「なんとなく」消えていったようです。
今でいう「自然消滅」ですね。「自然消滅」するほど、女性が登っていたという事実にも驚きです。女性では色々不便もあったでしょうし、体力面も過酷だったと思います。
それでも、御嶽山へ登りたい!山頂まで少しでも近づきたい!という想いがあったことは間違いありません。ジリジリと女人結界を自然消滅へ追いやった当時の女性たちにエールを送りたいです。
最後に、あまり知られていませんが、「自然消滅」した最後の【女人結界】の位置は、女人堂ではありません。前にも、書きましたが覚えているでしょうか?
答えは金剛童子の大岩です!(黒沢口第十四番 金剛童子)女人堂より10分ほど上がった場所です。
どうか以後もお見知りおきを!(確かにここまで上がらないと、御嶽山を遥拝できませんよね!)
参考文献:
「御嶽の歴史」(生駒勘七)
「御嶽の信仰と登山の歴史」(生駒勘七)
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