御嶽山はかつて、【女人禁制】でした。
これまで御嶽山の女人結界の位置や、女人堂の歴史についてふれてきましたが、実は【女人禁制】の山は御嶽山だけではありません。
高野山もかつては【女人禁制】で、高野山の入り口には女人堂が設けられていましたし、吉野の【山上ヶ岳】は現代でも【女人禁制】の山です。
今回はそれらをご紹介します!
高野山の女人道
ここは高野山の不動口という場所です。バスで来るとここを通ることになります。
この不動口に、高野山の女人堂が建っています。
かつて高野山へは七つの参詣道がありました。各入口には女性のための籠り堂として女人堂が建っており、女性はそこから山内へ入れませんでした。
そんな女性たちのために、七つの入口に建てられた女人堂跡を巡る道として女人道ができました。女人道はいわば、女人結界ギリギリを一周する道です。女人道は今でも歩くことができます。
女性はここまで?!
写真は、不動口の石門です。現在残っている女人堂はこの不動口1箇所のみです。
紫の線が女人道になっており、これぞまさしく【女人結界】といった作りで、高野山を囲うようにできていました。
一歩でも「お大師様」(空海)に近づき、できれば「高野山内」に入りたいと願う女性のために作られたのが女人堂なのです。聖域とされた結界内への立ち入りを許されなかった女性たちが参籠・遥拝するための施設でした。
この影響で、御嶽山の女人堂も造られたと考えられます。
高野山は明治五年(1872)、明治政府により「女人禁制は解除」となります。反対運動の騒ぎや、解除後も宿泊は禁止であったなど、なかなか浸透には時間がかかったようですが、明治37年ごろにはすっかり落ち着いていたとありました。
高野山、大好きです!
未だに女人禁制の山?!
次に、吉野のお話をします。以前、御嶽山の本家的存在である吉野の【金峯山寺】を紹介しました。修験道の総本山です。御嶽大神の言わばご先祖さまが祀られていると言っていいでしょう。(詳しくはこちら)
そんな吉野から続く大峰山は、【山上ヶ岳】を中心として、約10キロメートル四方の範囲が未だ女人禁制となっています。【山上ヶ岳】には、【大峯山寺】という修行寺があり、断崖絶壁から身を乗り出して己を悔い改める「西の覗き」という修行が有名です。
この影響で、御嶽山にも「西の覗き」「大覗き」という場所がありました。
この道は、吉野から大峰山を通って熊野へと続く【大峯奥駈道】の、ほんの一部分です。
【大峯奥駈道】を歩いて、吉野の主峰である青根ヶ峰へ登った際、見つけた石碑です。【女人結界】と彫ってあるのがわかりますか?現在はこの先へも入ることはできますが、【山上ヶ岳】へは未だ入ることはできません。テレビでしか観たことはありませんが、実際に登山口にはしっかりとした女人結界門が建ってました。
青根ヶ峰で食べた、吉野名物「柿の葉すし」は美味しかった!吉野も大好きです!
兵庫県にもあった?!
かつて山伏が修行する聖地への、女性の出入りは禁止されていました。かつて修行は男性が行うものという環境があり、男性が修行する上で煩悩を絶つためには、少なくとも修行の初期段階においてはどうしても女性と距離をとる必要があったことが深く影響しています。また男子禁制の尼寺と同様、山修行は女人禁制の領域をたくさん持っていました。
「修験道入門」田中利典
現在、山伏の修行は男女を問わず、どなたでもできます。ただし、山に伏す修行であることも考え、大峰山山上ヶ岳のように、歴史的に今なお女人結界を残し、男性だけの形態を保っているところは残されています。
岡山県と兵庫県にまたがる後山は、「西大峰山」とも言われています。修験道の行場であり、岡山県美作市に所在する道仙寺の私有地となっています。道仙寺は1200年代に創設され、後山は「男子修練の霊山として絶対女人禁制の山也」とされているそうです。
同じく兵庫県の淡路島にある石上神社は、鳥居の横に女人禁制の結界石があるそうです。今でも女性は直接入ることはできず、鳥居横の小道から、境内を参拝すると紹介されていました。
意外にも、私の出身地兵庫県に二つも女人禁制が残っていたとは調べてみて驚きでした!いつか訪ねてみたいと思いつつ、「あ、入れないんだった、、、」と落胆(笑)
ですが、いつか結界だけでも見に行ってみたいと思っています。高野山も吉野も、私にとっては御嶽山に次ぐ超パワースポットです。御嶽山とも縁が強い場所ですので、ぜひ訪ねてもらえたら嬉しいです。
次回、女人禁制そのものについて私自身の見解を書きたいと思います。
参考文献:
「修験道入門」田中利典
「いつまで続く『女人禁制』」源淳子(編集)
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