与野 御嶽社で見た【一心講紋】とは⁈

埼玉県の御嶽巡りシリーズです。
前回の田島 御嶽神社は豪華絢爛で見どころありましたね。
今回は与野よのという場所にある御嶽社を紹介します。ここにはどうしても確かめたいモノがあるんです。

https://maps.app.goo.gl/hjxJhHPkgrzReg3b8
入り口です

「御嶽神社」の石柱と、両側に「御嶽社」と幟旗のぼりはたが掲げられています。
駐車場はありませんが、すぐ近くに公園の駐車場があります。

この地はかつて与野よのという地名でした。今はさいたま市に合併されて与野市はなくなりましたが、与野という名前は、公園や学校名に残っていました。
この与野の名主が、御嶽講四大講祖1の一人である一心行者いっしんぎょうじゃを支援して布教活動していたそうです。
名前は、井原平八といい、平八の養子にはのちの一山行者いっさんぎょうじゃ(四大講祖)がいます。

一心行者は、1821年に幕府から捕縛されて、遠島2で獄中死しており、弟子であった平八やのちの一山行者も所払いの刑3を受けています。
この御嶽社は、この所払いの刑を解禁されたのちに建てられたとありますね。

この幟旗のぼりはたには「御嶽社 一心元講」と書かれており、一心行者と関係していることがわかりますね。

注目したいのは、この旗に書いてある紋様です。【山丸三】じゃないんです。
実はこの紋様こそ、今回の目的である「一心講紋」なんです。

以前に覚明行者の紋様について調べた際に読んだ「神鳥の声」、こちらに以下のように書かれていました。

一心講紋(星と入り山に三つ引き)

「神鳥の声」木曽御嶽山案内記 御嶽教滋賀大教会 和邇御嶽山

なんと一心行者にも講紋こうもんがあったんですね!
わざわざ赤で描いてるからどう見ても太陽に見えちゃいますが、丸い点は星なんですね?!この本はなぜわざわざ赤くしたんでしょうか。そしてそもそも、なぜ星なんでしょうね?
覚明行者は「あし」、一心行者にとっては「星」がキーワードですね。大日如来が表している「宇宙」と関係があるかもしれません。

この【一心講紋いっしんこうもん】が気になって、どうしても実物を見たくて訪ねたわけです。

手水舎ちょうずやにも、【山丸三】と一緒に【一心講紋】が彫ってありました。星の丸がでかい!初見ではとても星には見えない……。
ところで、この【山丸三】も、田島御嶽神社にあったものと同じで、曲線の三つ山で描かれていますね。【山丸三】(三つ山Ver.)としましょう。

鳥居の奥まっすぐに、御社がありました
特に何も書かれてはいませんでした

今回は、与野よの御嶽社おんたけしゃを訪ねて【一心講紋いっしんこうもん】である「星」「入り山」「三つ引き」を確認できました。
【普寛講紋】が【山丸三】、【覚明講紋】が【山葦一】、【一心講紋】が【星山三】といった感じでしょうか?
この【一心講紋】は、【木曽の御嶽山】がある王滝口へ続く御嶽古道の石碑にもあるみたいです!春が来たら探しに行ってみたいと思います!

  1. 御嶽講の四大講祖とは、覚明行者・普寛行者・一心行者・一山行者の四人を指す。 ↩︎
  2. 遠島の刑は、流罪。死刑に次ぐ重罪で刑期は無期であった。 ↩︎
  3. 所払いの刑とは、居住地域への立ち入りを禁ずるもので、追放刑としては最も軽い。 ↩︎
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