前回に引き続き、今回も埼玉県の与野からお送りします。
一心講紋が掲げてあった御嶽社から、徒歩15分の位置にある「一山神社」を訪ねました。
https://maps.app.goo.gl/hhSMo6qzpNSBU9dY8
すごく長細い境内でした。googleマップでは入り口がわからず、裏の本殿側からぐるぐる一周してやっと見つけました。
下の写真ですが、赤い部分が入り口です。ファミリーマートが目印ですね。
1848-1853の時期に木曽御嶽講中が創立と書いています。そしてこの一山神社は、木曽の御嶽山四大講祖のひとり、【一山行者】のことであります。【一山行者】は、【一心行者】を支援していた一心講の一人、与野の名主・井原平八の養子にあたります。同じく一心行者の弟子です。
一心行者が遠島で獄中死したのが1821年で、この時に平八やのちの一山行者も所払いの刑を受けています。それから約30年後、といった時期にあたりますね。
長細い参道が伸びてます。民家か社務所か?といった家が片側には並んでいます。
手水舎には、しっかり【山丸三】(三つ山Ver.)が彫ってありました!
「一山神社」と書いた石鳥居を抜けて拝殿へ進みます。
賽銭箱や拝殿扉にも【山丸三】(三つ山Ver.)が刻んでありますね。
番付みたいな木版が掲げてありました。
「星山講」とは聞いたことがないので気になりました。何せ【一心行者】の講紋が「星」でしたからね。
拝殿の傍に、通れる道があったので抜けたら、本殿の裏側へと回れました。
長細いわずかなスペースにひっそりと建つこの一山神社は、一山行者を祀るというよりは、一山講が建てた「恵比寿&八幡神社」といった色合いでした。謳い文句も「与野七福神 恵比寿神」とありました。
ですが【山丸三】(三つ山Ver.)がしっかり確認できたのでよかったです。