なぜ変わった?蔵王→座王へ!

御嶽山のルーツ

前回、【蔵王と座王】見た目の違い?についてお届けしました!
そこで、木曽の「ざおう」は【座王ざおう】であると言いました。

今回は、なぜ金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん】(以下略蔵王ざおう)御嶽山座王大権現おんたけさんざおうだいごんげん】(以下略座王ざおう)へ変化(変容)したのか?を追究したいと思います!
ややこしいので先に答えを述べます。

結論から

座王ざおう】とは、当て字で作られたと思われる【木曽の御嶽山】オリジナルの【権現ごんげんさまです。【木曽の御嶽山】へやってきた【蔵王ざおう】は【座王ざおう】という名前に置き換えられたんです!もちろんそれは【蔵王】と区別するためでした。

そして前回の記事【蔵王と座王】見た目の違い?の通り、姿形だけでなくついには【本地仏ほんじぶつ】も、変わりましたね。

おさらい
蔵王ざおう】が青黒い憤怒姿、本地仏ほんじぶつ釈迦如来しゃかにょらい/十一面観音菩薩かんのんぼさつ/弥勒菩薩みろくぼさつ(三体あるため)
座王ざおう】は衣冠の貴人姿、本地仏ほんじぶつ胎蔵界大日如来たいぞうかいだいにちにょらい

以上のように、【蔵王ざおう】から【座王ざおう】へと全く違う神格になったのです。

変容の経緯

では説明に入ります。まず、こちらの文献を紹介します。

この座王権現の神名は、もちろん大和(奈良)の大峰山に祀られる金剛蔵王権現の存在をもとにしたものであり、座の字は当て字であろう。しかし、それが長い時を経ることによって元来の姿から変容し、全く異なる神格となってしまったのではないか。その神格を、大峰などにも入峰修行している、言わば中央の修験道を知る普寛もあえて元来の蔵王大権現にもどすことなく、御嶽山座王大権現としての新しい神格とその位置を「神慮」に依って弘めたのではないかと思われるのである。尊容の関しても、衣冠を着けるた貴人の姿と表現したことによって蔵王権現との違いを表現したのではないだろうか。

「御嶽山王滝口 信仰資料拝見記」木曽御嶽山 王滝口 御嶽神社/御嶽教滋賀大教会 

変容という表現が合ってると思います。実際に確証を得る資料は残っていないそうで、あくまで推測(筆者の私見)と書いてあります。
次のように要約しておきます。

  1. 座の字は当て字であり、時を経て全く異なる神格に変容した
  2. 普寛行者は、もとの【蔵王ざおう】の存在は知っていたものの、あえて無理に訂正しようとはせず、【座王ざおう】の普及に貢献した
  3. 蔵王ざおう】と【座王ざおう】の見た目を変えることで違いを表現した

「蔵」と「座」の漢字の意味

」の字は当て字、ということですが、ここで漢字の意味について考えてみましょう。

」とは山を数える単位(一座、二座、、)に使われていますね。
「くら」と読むことができます。「くら」というのは神さまや仏さま、ご先祖さまがお住まいになる場所を指しているんだそうです。山だけでなく、大きな滝や、岩、塊を「くら」と呼んだのです。

この意味合いも含めて、【木曽の御嶽山】には「座」の字が用いられたんだと思います。

登山をしていると分かりますが、「くら」が付く名前の場所はとても多いです。(乗鞍岳、一の倉沢、大蛇グラなど)「くら」の漢字には、「座」だけでなく「倉」「鞍」でも表現されています。そしてまさしく「蔵」も「くら」と読みますね!「蔵」という字には、崩れたり壊れたりすることのない不滅の心理という意味合いもあるそうです。

これで「座」も「蔵」も、「くら」というご神体の意味がある漢字だということが分かりましたね!

山名も神名もオリジナルなんです!

そうして【座王ざおう】は御嶽山のオリジナルの権現ごんげんさまになりました。

この経緯は、かね御嶽みたけ】(みたけ)が【おう御嶽みたけ】(おんたけ)となった経緯と似ています。
Roots.2 【おんたけさん】と【みたけさん】の違いは??
〈問題〉御嶽山はいつから御嶽山でしょう??より

併せて考えると、木曽の人々がいかに御嶽おんたけ」を特別にして唯一無二の存在に崇めていたかがよく分かります。山の名前も、山の神さまの名前も独自のもの(オリジナル)にしてしまったんですから!【金峯山寺きんぷせんじ】の【蔵王ざおう】とは全く異なった存在になってしまった、といってもいいかもしれません。

本家と分家に例えてみると、、、

むかーしむかし木曽の御嶽山は、吉野の蔵王さまを勧請して「金峯山寺の蔵王権現」の分家となりました。しかしのちに蔵王さまは座王さまへと姿が変わり、「木曽の座王権現」という新たな家元を興して末長く繁栄ましたとさ、、、、めでたしめでたし。

そんな【金峯山寺きんぷせんじ】から見た【木曽の御嶽山】はどう映っているのでしょうね?

例えるならば、、、

金剛蔵王権現<br>さん
金剛蔵王権現
さん

「ああ、あそこ(木曽の御嶽)はウチ(金峯山寺)とは関係ないよ。確かにウチの出身ではあるけど、独立しちゃったからもう別の山だわ。ウチの系列とは言えないね」

といったニュアンスでどうでしょうか?

本家と分家という言い方は、あくまで私の想像ですが、あながち間違ってはいないと思います。金峯山寺に関する本では、甲州こうしゅう金峰山きんぷさん/きんぽうさんや、山形の蔵王、東京青梅おうめ市の御岳山みたけさんについては必ずと言っていいほど「ウチ(金峯山寺きんぷせんじ)から勧請かんじょうした」と書いてますが、【木曽の御嶽山】に関してはまったくノータッチに近く感じます。

まとめ

私は【金峯山寺きんぷせんじ】の【蔵王ざおう】も大好きなので、そこから勧請されたと思うと嬉しい気持ちはありますが、【木曽の御嶽山】がオリジナルとして確立された山だと考えると、これまた改めてすごいと感慨深いです。はっきり白黒付ける話ではないかなと思いました。むしろ今回まとめることで、白がゆっくり黒へと変容していくのを楽しむことができました。

参考文献:
「御嶽山王滝口 信仰資料拝見記」王滝口 御嶽神社/御嶽教滋賀大教会
「山の神さま・仏さま」太田昭彦
「修験道入門」田中利典

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