【蔵王と座王】見た目が違う?

御嶽山のルーツ

こんにちは!
御嶽のルーツ【蔵王権現】徹底解説!にて、【金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん】が何たるかを分かった上で、次の謎に迫ります。

そう、それは蔵王ざおう】と【座王ざおう】の違いです!
つまり【金峯山寺きんぷせんじ】の【蔵王ざおう】と、【木曽の御嶽山】の【座王ざおう
二つの「ざおう」の違いと、そもそもなぜ違うのかという謎を追求していきたいと思います。

まず今回は、見た目の違いから紹介します。

【金剛蔵王権現】の見た目

金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん】の姿は、前に紹介した【蔵王権現】徹底解説!の通り、憤怒ふんぬの形相です。

その姿は一面三目二臂いちめんさんもくにひ(顔がひとつ、眼が三つ、腕が二本)、青黒い憤怒ふんぬの相で頭に三鈷冠さんこかんを頂き、左手は剣印けんいん、右手は三鈷杵さんこしょを持って頭上に上げ、左足は盤石ばんじゃくを踏み、右足は空中を踏むという恐ろしいものでした。

「山の神さま・仏さま」太田昭彦

実は、【木曽の御嶽山】は「金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん勧請かんじょうしてきた」とうたっているわりには、
蔵王ざおうという表記も、【金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん】が描かれている絵も見られません。

【御嶽山座王大権現】の見た目

【木曽の御嶽山】で目にするのは、【御嶽山座王大権現おんたけさんざおうだいごんげん】という【座王ざおう】なんです。
漢字も違えば、姿形も【金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん】と全く違います。

これは王滝の大又三社おおまたさんしゃに祀られている像で、中心が【御嶽山座王大権現おんたけさんざおうだいごんげん】像、向かって左が【三笠山刀利天宮みかさやまとうりてんぐう】、右が【八海山堤頭羅神王はっかいさんだいずらしんのう】です。もう御嶽山ではお馴染みの構図ですね。(八海山と三笠山って、御嶽山とどういう関係?より)

一番上に描かれているのが【御嶽山座王大権現おんたけさんざおうだいごんげん】です。この【御影図みえいず】は高針心願講の先達さまが提供してくださいました。詳しい内容については御嶽【御影図】の紹介にて解説しています。

大又三社おおまたさんしゃ御影図みえいずから見て取れるように、御嶽山座王大権現おんたけさんざおうだいごんげん】は平安貴族のような書かれ方をしています。このような姿を衣冠いかんといいます。「衣冠いかん」とは、平安時代以降の貴族の正装で、動きやすい着こなしをした姿にあたります。

イラストにすると違いが一目瞭然ですね!

木曽では【蔵王】ではなく【座王】!

座王ざおう】という名は、Roots.4【木曽の御嶽山】はオリジナル?でも紹介した、王滝村の石碑と、【普寛行者ふかんぎょうじゃ】真筆の神号軸しんごうじくからも見て取れます。御嶽山をはじめ木曽では【蔵王ざおう】ではなく【座王ざおう】ととして崇拝されてきました。

そして牛王宝印とは何ぞや??でも紹介したこの【牛王宝印ごおうほういん】にもはっきりと【座王権現】と書かれていますね。

おさらいですが、
権現ごんげん】という言い方は明治の神仏分離令しんぶつぶんりれいによって【大神おおかみ】に変化してしまっています。そのため、現代の御嶽山においては【座王権現ざおうごんげん】という文字を目にすることは、もはや少ないかもしれません。王滝村に【御嶽山座王大権現おんたけさんざおうだいごんげん】の石碑が残っていたことも貴重で、あとは書籍や神号軸の写真などで探すしかありません。

山中で見つけた【座王】石碑

ですが、御嶽山の山中にも、貴重な【座王ざおう】の文字を発見しました!

写真は、黒沢口八合目の女人堂を過ぎて、金剛童子こんごうどうじを過ごし、長い一本道へ入る直前に登山道を左に入った場所です。広場のような場所に「御嶽全山総霊神之碑」「開山覚明霊神二百年祭記念碑」と言った大きい石碑が立っています。

ここに【座王大権現】と彫られていました!

中心の【御嶽山真大尊神】については、分かりませんでしたが、
右側の【国常立尊くにのとこたちのみこと】は、現在の御嶽山主祭神である【御嶽大神おんたけおおかみ】の三神の一人です。
座王大権現ざおうだいごんげん御嶽大神おんたけおおかみ】(国常立尊くにのとこたちのみこと / 大己貴命おおなむちのみこと / 少彦名命すくなひこなのみことと考えて良いです。

そして、「御嶽全山総霊神之碑」とあるように、御嶽山の全ての諸神仏霊神を祀っているところから推測すると、統合した存在として【御嶽山真大尊神】という名前にしたのかなと思います。

頂上奥社の像は座王権現?白川大神?

これは御嶽山の頂上奥社ですが、ここに建っている一番大きな像も衣冠の姿をしています。黒澤口の御嶽神社に確認したところ、これは【御嶽山座王大権現おんたけさんざおうだいごんげん】像ではなく、先の記事で紹介した【白川大神】像のようです。

このように二神とも「衣冠の貴人姿」で描いたことによって、なんともややこしいことになったと感じます。!昔から御嶽山座王大権現おんたけさんざおうだいごんげん】と【白川大神しらかわおおかみ】はしばしば混同されてしまう、と本にも書いてありました。こちらもまた別の機会に改めて紹介させてください。

白川大神しらかわおおかみ】像の左隣に鎮座しているのは【胎蔵界大日如来たいぞうかいだいにちにょらい】像といって、昨年新しく高針心願講によって開眼されました。普寛行者によると、【御嶽山座王大権現おんたけさんざおうだいごんげん】の本地ほんじは【胎蔵界大日如来たいぞうかいだいにちにょらいなんだそうです。
御嶽のルーツ【蔵王権現】徹底解説!での【権現ごんげん】と【本地ほんじ】の話を覚えていますでしょうか?また振り返ってみてください!

まとめ

  1. 二つの【ざおう】見た目の違いは、
    蔵王ざおう】が青黒い憤怒姿、座王ざおう】は衣冠の貴人姿である
  2. 木曽には、【御嶽山座王大権現おんたけさんざおうだいごんげん】という【座王ざおう】しかいない
  3. 座王ざおう】の本地仏ほんじぶつは【胎蔵界大日如来たいぞうかいだいにちにょらい】である
  4. 座王ざおう】は明治以後は【御嶽大神おんたけおおかみ】と変化した
  5. 白川大神しらかわおおかみ】と姿が似ているが、別存在である

さて、見た目の違いと【座王ざおう】を理解したところで次回はいよいよ、
「そもそもなぜ【蔵王ざおう】が【座王ざおう】に変容したのか!?」を解きたいと思います!
 続きはなぜ変わった?蔵王→座王へ!でお会いしましょう!

以上、
写真提供:高針心願講 大鐘龍昇先達さま
参考文献:「御嶽山王滝口 信仰資料拝見記」王滝口 御嶽神社/御嶽教滋賀大教会

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