Roots.4【木曽の御嶽山】はオリジナル?

御嶽山のルーツ

 「全ての【御嶽山(御岳山)おんたけさん/みたけさん】のルーツは【金峯山寺きんぷせんじ】の【金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん】である
と、前回Roots.3 【御嶽山】のルーツに悩んだら….で言いました。
 ですが、こう言い切るまでに随分と時間がかかったものです。

 【金峯山寺きんぷせんじ】の【金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん】は、霊山の代表として日本全国あらゆる場所に祀られています。
 有名なのは、前記事でも述べましたが、
 ・山形の「蔵王ざおう
 ・山梨の「金峰山きんぽうさん
 ・東京の「御岳山みたけさん
 これらは必ずと言っていいほど何を読んでも紹介されています。

 ところが、【木曽の御嶽山おんたけさん】については記述が見当たりませんでした。そのため、私は2年間ほどの間、【木曽の御嶽山おんたけさん】は独自のルーツからできた山だと思っていたんです。

 ご縁があって【木曽の御嶽山おんたけさん】で働くようになってからも、この疑問の答えになかなか辿り着けませんでした。一度、木曽の御嶽神社で宮司さんに聞いた時も、曖昧にしか答えてもらえませんでした。

 そんな中、木曽郡王滝町で御嶽古道を案内してもらっていた時のことです。

御嶽山座王大権現と書かれた石碑が建っていた

 御嶽山座王大権現おんたけさんざおうだいごんげん】としっかり書かれた石碑を見つけたのです。この時は衝撃でした!

【座王】の字が違いますが、これはやはり金峯山寺きんぷせんじ】の【金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん】がルーツであるという証拠に違いない!と確信しました。
なぜ【王】ではなく【王】なのか?これもまた旧漢字なのか??
深まる謎が興味をそそり、私はますます【木曽の御嶽山おんたけさん】に魅せられていきました。
そして、御嶽山に関する地域の書籍を知り合い(御嶽レジェンド)から借りて、読み耽るようになりました。

  その中でついに

御嶽の頂上には、金峯山寺の蔵王権現を勧請した「王御嶽座王権現おうのみたけざおうごんげん」が祀られている”
という、はっきり書かれた記述を見つけました! 

このおかげで、
 「全ての【御嶽山(御岳山)おんたけさん/みたけさん】のルーツは【金峯山寺きんぷせんじ】の【金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん】である」という事実と、
金剛蔵王権現こんごうざおうごんげん】を見出した【役行者】が、全ての霊山の元になっていることを知りました。


しかし御嶽山の信仰対象は【御嶽山座王大権現おんたけさんざおうだいごんげん】だけに留りませんでした。
開山に関わった行者や、その弟子たちも【霊神れいじん】として祀られているため、
現在ではかなりオリジナルで独立された霊山だと言えます。
 そのためか、他の【御嶽山(御岳山)みたけさん】と区別されて記述されているのにも、納得がいきました。

 今後も、【木曽の御嶽山おんたけさん】を辿っていきながら、【王】ではなく【王】になった経緯などもを探っていきたいと思います。

以上参考文献は
「村誌 王滝 歴史編Ⅰ」(王滝村)
「修験道入門」(田中利典)より

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