「全ての【御嶽山(御岳山)】のルーツは【金峯山寺】の【金剛蔵王権現】である」
と、前回言いました。
ですが、こう言い切るまでに随分と時間がかかったものです。
【金峯山寺】の【金剛蔵王権現】は、霊山の代表として日本全国あらゆる場所に祀られています。
有名なのは、前記事でも述べましたが、
・山形の「蔵王」
・山梨の「金峰山」
・東京の「御岳山」
これらは必ずと言っていいほど何を読んでも紹介されています。
ところが、【木曽の御嶽山】については記述が見当たりませんでした。そのため、私は2年間ほどの間、【木曽の御嶽山】は独自のルーツからできた、オリジナルの山だと思っていたんです。
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ご縁があって【木曽の御嶽山】で働くようになってからも、この疑問の答えになかなか辿り着けませんでした。一度、木曽の御嶽神社で宮司さんに聞いた時も、曖昧にしか答えてもらえませんでした。
正直自分でも、マニアックなことを調べてるなと思っています。
そんな中、木曽郡王滝町で御嶽古道を案内してもらっていた時のことです。
(王滝や御嶽古道については後日)
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【御嶽山座王大権現】としっかり書かれた石碑を見つけたのです。この時は衝撃でした!
【座王】の字が違いますが、これはやはり【金峯山寺】の【金剛蔵王権現】がルーツであるという証拠に違いない!
なぜ【蔵王】ではなく【座王】なのか?これもまた旧漢字なのか??
深まる謎が興味をそそり、私はますます【木曽の御嶽山】に魅せられていきました。
そして、御嶽山に関する地域の書籍を借りて、読み耽るようになりました。
(ここの経緯もまた今後触れていくつもりです)
その中でついに
”御嶽の頂上には、金峯山寺の蔵王権現を勧請した「王御嶽座王権現」が祀られている”
というはっきり記述を見つけました!この時は「よっしゃ!」とガッツポーズです。
やはり【金峯山寺】の【金剛蔵王権現】でしたね!!
このおかげで、
「全ての【御嶽山(御岳山)】のルーツは【金峯山寺】の【金剛蔵王権現】である」という事実と、
【金剛蔵王権現】を見出した【役行者】が、全ての霊山の元になっていることを知りました。
【木曽の御嶽山】が【金峯山寺】の【金剛蔵王権現】を勧請したのは事実です。
しかし御嶽山の信仰対象はそれだけに留まらず、開山に関わった行者や、その弟子たちも【霊神】として祀られています。今ではかなりオリジナルで独立された霊山だと言えます。
そのため、他の【御嶽山(御岳山)】と区別されて記述されているのにも、納得がいきました。
今後も、【木曽の御嶽山】を辿っていきながら、【蔵王】ではなく【座王】になった経緯などもを探っていきたいと思います。