「全ての【御嶽山(御岳山)】のルーツは【金峯山寺】の【金剛蔵王権現】である」
と、前回Roots.3 【御嶽山】のルーツに悩んだら….で言いました。
ですが、こう言い切るまでに随分と時間がかかったものです。
【金峯山寺】の【金剛蔵王権現】は、霊山の代表として日本全国あらゆる場所に祀られています。
有名なのは、前記事でも述べましたが、
・山形の「蔵王」
・山梨の「金峰山」
・東京の「御岳山」
これらは必ずと言っていいほど何を読んでも紹介されています。
ところが、【木曽の御嶽山】については記述の本が見当たりませんでした。そのため、私は2年間ほどの間、【木曽の御嶽山】は独自のルーツからできた山だと思っていたんです。
ご縁があって【木曽の御嶽山】で働くようになってからも、この疑問の答えになかなか辿り着けませんでした。一度、木曽の御嶽神社で宮司さんに聞いた時も、曖昧にしか答えてもらえませんでした。
そんな中、木曽郡王滝町で御嶽古道を案内してもらっていた時のことです。
【御嶽山座王大権現】としっかり書かれた石碑を見つけたのです。この時は衝撃でした!
【座王】の字が違いますが、これはやはり【金峯山寺】の【金剛蔵王権現】がルーツであるという証拠に違いない!と確信しました。
なぜ【蔵王】ではなく【座王】なのか?これもまた旧漢字なのか??
深まる謎が興味をそそり、私はますます【木曽の御嶽山】に魅せられていきました。
そして、御嶽山に関する地域の書籍を知り合い(御嶽レジェンド)から借りて、読み耽るようになりました。
その中でついに
“御嶽の頂上には、金峯山寺の蔵王権現を勧請した「王御嶽座王権現」が祀られている”
という、はっきり書かれた記述を見つけました!
このおかげで、
「全ての【御嶽山(御岳山)】のルーツは【金峯山寺】の【金剛蔵王権現】である」という事実と、
【金剛蔵王権現】を見出した【役行者】が、全ての霊山の元になっていることを知りました。
しかし御嶽山の信仰対象は【御嶽山座王大権現】だけに留りませんでした。
開山に関わった行者や、その弟子たちも【霊神】として祀られているため、
現在ではかなりオリジナルで独立された霊山だと言えます。
そのためか、他の【御嶽山(御岳山)】と区別されて記述されているのにも、納得がいきました。
今後も、【木曽の御嶽山】を辿っていきながら、【蔵王】ではなく【座王】になった経緯などもを探っていきたいと思います。
以上参考文献は
「村誌 王滝 歴史編Ⅰ」(王滝村)
「修験道入門」(田中利典)より